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武埴安彦命は建甕槌!!

更新日:2月18日

第228話


第227話で天日方奇日方命(あめひがた・くし・ひがたのみこと)は旧事本紀では、事代主神の子。別名に阿田都久志尼命。神武天皇の皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命の兄だと書きました。この場合の事代主は大物主=長脛彦です。天日方奇日方命=建甕槌の父親は長脛彦です。記紀では建甕槌の父親は天之尾羽張神、火之迦具土神(古事記)熯速日神(日本書紀)、甕速日神(古語拾遺)となっています。大物主=饒速日と思っている人は記紀が作成される当時からいたようで、媛蹈鞴五十鈴媛命(五十鈴姫)の兄とされたのでしょう。五十鈴姫の父親は饒速日です。五十鈴姫の父親は?


母は活玉依媛(=玉櫛姫)となっているのも事代主=大物主=饒速日と思われているためです。私は玉櫛姫は三炊屋媛だと思っています。豊受気媛神は三炊屋媛

三炊屋媛は長脛彦の妹です。長脛彦の物語


第188話で三嶋溝抗命はタケハニヤス という記事を書きました。そうすると、八咫烏、八咫烏鴨武角身命、山城の賀茂氏(賀茂県主)や葛城国造の始祖であり、賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭神として知られる人物は建甕槌=天日方奇日方命ということになります。

下鴨神社の祭神は、賀茂建角身命です。つまり天日方奇日方命=建甕槌がタケハニヤスということになるのです。


ここで新たな視点が出てきました。ウマシマジが出雲(根の国)に追放されたため、建甕槌が大和朝廷(邪馬台国)のトップになったのです。大彦(大国主)はまだ存命中ですが、体力的な問題で政権からは身を引いています。ウツシコオ卑弥呼も饒速日(孝元天皇)はすでに亡くなっています。


建甕槌は長脛彦=三毛入野の子で、大和朝廷ではよそ者なのです。

建甕槌が大和朝廷のトップであることが好ましくないと思っている人物がいました。

中臣氏の祖である天児屋根命 です。天児屋根命は建甕槌を打ち取ってしまおうと作戦をねります。  


    続く


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天日方奇日方命=建甕槌の別名は阿田都久志尼命(あたつくしねのみこ)です。あたは反逆者という意味と前号でかきました。都久志は”つくし”で遠く=高千穂  ~三毛入野と五瀬命 から来た者という意味です。天児屋根命は、よそ者の建甕槌の下になるのが嫌だったのです。


<関連項目>



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。









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