近つ飛鳥と遠つ飛鳥~同名地名の謎
- tootake
- 4 日前
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第883話
飛鳥は近つ飛鳥と遠つ飛鳥の2か所あります。
「近つ飛鳥(ちかつあすか)」は現在の大阪府羽曳野市・太子町周辺を指し、河内飛鳥とも呼ばれています。また、古墳時代から飛鳥時代にかけての王族陵墓が集中する「王陵の谷」と呼ばれ、敏達天皇陵、用明天皇陵、推古天皇陵、孝徳天皇陵、聖徳太子廟などがあります。古事記によれば、履中天皇の弟(後の反正天皇)が難波から石上神宮へ向かう途中に泊まった場所を「近つ飛鳥」と名付けたとされています。
「遠つ飛鳥(とおつあすか)」は奈良県高市郡明日香村を中心とする地域を指します。両者は古代の地名で、難波から見て近い方を「近つ」、遠い方を「遠つ」と呼んだとされます。
奈良県高市郡明日香村を中心とする地域。現在の「飛鳥」として有名。飛鳥時代の政治・文化の中心地。大化の改新(645年)や藤原京建設など、日本古代国家形成の舞台。難波から見て遠い方の飛鳥であるため「遠つ飛鳥」と呼ばれています。
地理的対比:難波宮(大阪市)から見て近い方が「近つ飛鳥」(河内)、遠い方が「遠つ飛鳥」(大和)。
文化的役割:近つ飛鳥は陵墓や渡来人文化の拠点、遠つ飛鳥は政治の中心地。両者は古代の交通路(竹内街道)で結ばれ、難波と大和をつなぐ要衝でした。
異説:一部には「河内を遠つ、大和を近つ」と逆に解する説もあり、地名の由来には複数の解釈が存在します。氏族の地盤移動や宗教的ネットワークの広がりを読み解こうとする研究者もいます。例えば蘇我氏が河内から大和へ移った経緯は、まさに「近つ」と「遠つ」の象徴的な転換という人もいます。
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「磯城(しき)」
第881話で欠史八代と磯城県主で志貴県主を書きましたが、実は「シキ」という地名は2か所かります。磯城は河内国(大阪府南部)の藤井寺市周辺です。そして、師木は大和国磯城郡:奈良県桜井市・田原本町周辺、三輪山の麓です。
「軽(かる)」
軽(かる)は、奈良県橿原市南東部、飛鳥地方に含まれる地域。飛鳥の中心地からやや東寄りに位置します。古代には皇族や有力氏族の宮殿・邸宅が置かれた場所で、「軽の宮」「軽の里」と呼ばれることもありました。日本書紀や万葉集に登場し、皇子の名に冠されるほど重要な地名。皇族の居住地を示す場合が多く、軽皇子もその地にゆかりがあったため「軽」の名を冠しています。軽島(かるしま)は、記紀に登場する地名のひとつで、特に『古事記』では第15代・応神天皇の宮「軽島之明宮(かるしまのあきらのみや)」として言及されています。この宮の比定地は現在の奈良県橿原市大軽町にある「大軽春日神社」の境内とされています。
そしてもう一つの軽(かる)は、第851話:hidemaru3375.com/post/羽曳野:大阪と邪馬台国で書いた羽曳野市です。羽曳野市軽里には、白鳥陵古墳、軽羽迦神社があり、ヤマトタケル=聖徳太子=台与と関係の深い地です。
「柏原(かしはら)」
・柏原市(かしわらし)は、大阪府の中河内地域に位置する市で、ぶどう栽培が盛んで、また古墳や遺跡も多くあります。
・橿原神宮のある橿原は奈良県です。
柏原(かしはら)は元々は、枚方市の地名です。河内国交野郡の柏原とは、枚方市片鉾本町のことだと知りびっくりしました。
神武天皇は橿原(かしはら)の地で、即位したといいます。橿原とは枚方の柏原(かしはら)のことだと思います。神武天皇は台与(豊)です。なぜなら台与は卑弥呼の後、大王に即位しているからです。ハツクニシラス・スメラミコト(大王)とは、神武天皇=崇神天皇=台与です。~第566話:神武天皇と橿原神宮
第757話:甲斐国と甲斐田(枚方)では、邪馬台国(ヤマト)は、崇神天皇の際に発生した疫病により、枚方から奈良県に移動したとしています。
柏原、樫原という地名も枚方から大阪府柏原や、奈良県橿原に移動したと思われます。奈良県橿原は神武天皇が即したとされる地です。
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※近つ飛鳥は陵墓や渡来人文化の拠点で、遠つ飛鳥は政治の中心地であったとされています。大阪府の軽、柏原も陵墓や渡来人文化の拠点です。奈良県の橿原、軽(かる)は、政治と関係のある地で後から作られた地であると思います。
太子町も2か所あり、兵庫県揖保郡と大阪府です。斑鳩町は、奈良県にありますが、兵庫県太子町の斑鳩寺が先にあったと思われます。第541話:法隆寺を建てたのは不比等?!~斑鳩町では、「藤原不比等は、出雲神話を信じさせるために、出雲大社を島根県に建設し、熊襲、隼人の伝説を作るために、山城国(京都府)大住の住人を九州に移住させ大隅とさせるといった大技(おおわざ)を繰りだすような人物です。」と書きました。
つまり、同じような地名があるのは、藤原不比等の政治的な思惑が絡んでいると私は思っています。
※このブログでは、邪馬台国は、枚方・交野・高槻・寝屋川・守口にありましたが、崇神天皇(=台与)時代に、疫病が大流行し、やむなく奈良県に移住したとしています。元々の邪馬台国にあった地名を奈良県に移住した邪馬台国の住人が以前住んでいた地名を付けたとも考えられます。
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれている13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>



神功皇后の妹の淀姫命と虚空津比売命。火明命を祖とする豊姫の一族。 – 古代史考証 神武天皇と卑弥呼の時代 著者 佐藤洋太
阿智神社 (阿智村) - Wikipedia
<これまでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることが判明した人物>
第374話:牛鹿臣はウツシコオ! 第371話:彦狭島命~吉備児島
第372話:建日方別:彦狭嶋命 第369話:神武西征~健磐龍命
第365話:君が代(2):君はウツシコオ 第363話:彦はすべて、ウツシコオ
第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 第325話:天之日矛はウツシコオ
第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口 第327話:于道朱君の衝撃~新羅
第328話:沙至比跪(サチヒコ) 第329話:アメノヒボコはウツシコオ
第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬) 第331話:朱智神社~迦邇米雷王
第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?
第380話:猿田彦は異国人 第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰
第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛!
第336話:大屋彦~根の国は和歌山 第337話:阿多賀田須命~宗像氏
第338話:月読命(ツクヨミ) 第349話:天児屋命はウツシコオ!!
第357話:武甕槌神(タケミカヅチ)考 第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命
第318話:空海のルーツは内色許男命! 第319話:和知津美命はワタツミ!!
第320話:欠史八代はヤマト=三島 第230話:三嶋溝抗命たち(複数)
第231話:神八井耳命は三毛入野 第232話:内色許男命は武埴安彦命!
第274話:八咫烏もウツシコオ 第275話:事代主もウツシコオ?
第279話:開化天皇 第280話:建角身命もウツシコオ
第263話:中臣氏~中臣烏賊津 第256話:ウガヤフキアエズのミコト
第244話:大津神社と建南方富命 第245話:豊御気主命は三毛入野!
第246話:高御産巣日神(高木神) 第247話:今迦毛大御神と天若日子
第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子 第251話:猿田彦は塩土老翁神
第252話:迦毛大御神は崇神天皇! 第253話:キサガイヒメはウツシコオの母!
第354話:伊勢津彦はタケミナカタ =ウツシコオ 第254話:興玉命も内色許男命
第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命 第394話:天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥
第395話:天日鷲命は、、、 第397話:獲加多支鹵大王(ワカタケル) =雄略天皇
◎hidemaru3375.com/post/ヒコユキからウツシコオへの過