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大彦は五十猛の子

更新日:4月18日

第289話~真床追衾(まとこおふすまを)


※このブログでは大国主は大彦です。


 

大国主の母は刺国若比売です。

古事記では母の刺国若比売は八十神たちに殺された息子の大国主神を見て嘆き悲しみ、高天原の神産巣日神に懇願し、遣わされた𧏛貝比売・蛤貝比売と共に彼を蘇生させています。しかし、またも八十神たちの謀略によって大国主神が殺されたため、再び蘇生させて息子に大屋毘古神の木の国に行くよう施したとあります。古事記でも大穴牟遅神(オオナムジ=大穴持ち=大国主)が木国の大屋毘古神の元に逃げ込んだと書いてあります。


大屋毘古神(おおやびこのかみ)は先代旧事本紀でも「亦云 大屋彦神」とあり五十猛神の別名とされています。


前号で五十猛は彦五瀬命(ひこいつせのみこと:五瀬命)と同一人物と書きました。大国には大彦です。つまり大彦の父親は、大屋毘古(大屋彦)です。


大屋彦はウガヤフキアエズとタマヨリビメの間に生まれた長男で、神武天皇の兄とされています。すなわち大屋彦は、三毛入野=長脛彦=内色許男命(ウツシコヲノミコト)です。


大彦は第8代孝元天皇欝色雄命の妹で皇后欝色謎命(うつしこめのみこと、内色許売命)との間に生まれた第1皇子であるとされています。私は、なにかおかしいなと以前から思っていましたが、大彦が大屋彦の子ならまあまあ納得できます。

大彦は饒速日の子ではなく、長脛彦の兄の子だったのです。


刺国若比売

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素戔嗚

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マシタ姫


  ↓


  ↓



大屋彦・五十猛


饒速日



  ↓


  ↓



大彦=大国主


ウマシマジ



ウツシコオにとって大彦もウマシマジも邪魔ものです。国譲りで大和(邪馬台国)の簒奪を図ったのは、高御産巣日神(たかみむすびのかみ:高木神)こと内色許男命(ウツシコヲノミコト)です。大彦は欝色謎命(ウツシコメ)の子とされていますが、これではっきりしました。大彦=大国主は刺国若比売と五十猛=彦五瀬命の子だったのです。


高皇産霊尊は真床追衾(まとこおふすまを)以ちて、皇孫すめみま天津彦彦火瓊瓊杵尊を覆って降臨させた。とあります。真床追衾とは”あかちゃん”をくるむ「おくるみ」のことです。天孫降臨の時に天津彦彦火瓊瓊杵尊はまだ”あかちゃん”だったのです。


なぜ高皇産霊尊=ウツシコオは自分の子ではなく、孫を大王にさせたかったのかは第285話:神武天皇は伊香色雄命ですでに書きました。  


真床追衾にくるまれた”あかちゃん”は御牧入彦(ミマキイリヒコ)こと菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)です。もっとも”あかちゃんではなく7.8歳の少年だったと思います。御牧入彦(ミマキイリヒコ)こと菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)は少年期にその優れた知能を現していたのだと思うのです。


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


   


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