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オケとヲケ(3):丹波

  • tootake
  • 7 時間前
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更新日:3 時間前


第974話


第972話:億計(オケ)と弘計(ヲケ)で書いたように、億計(オケ)と弘計(ヲケ)の二人は播磨国に行く前に、て丹波国与謝郡(京都府与謝郡)に隠れ住んでいたことが分かりました。


日本書紀には、安康天皇が暗殺され、その後に二王の父の市辺押磐皇子が大泊瀬皇子(後の雄略天皇)に殺された。子の億計王(仁賢天皇)は弟の弘計王(顕宗天皇)と共に逃亡して身を隠した。まず丹波国餘社郡に逃げ、後には播磨国明石や三木の志染の石室に隠れ住む。兄弟共に名を変えて丹波小子(たにはのわら)はと称した。とあります。


なぜオケとヲケの二人は、丹波に居たのでしょうか。


丹波の地名の由来として、「諸国名義考」には「田庭なるべし」とあります。これは、かつて豊受大神宮(外宮)が丹波国真奈井にあり、皇大神宮(内宮)の御食事の稲を作っていた広く平らな場所の意味だといいます。昔は赤米が主流だったので、 「赤い米がたわわに実って風にそよぐさまが赤い(丹)波のようみ見える」というように解釈されています。


香川県の東かがわ市にある水主神社(みぬし)の社伝では、「倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)*は8歳のとき今の水主の里宮内にお着きになり成人になるまでこの地に住まわれた。土地の人に弥生米をあたえて、米作り又水路を開き、雨祈で、雨を降らせ、文化の興隆をなされた御人といわれる。」とあります。

倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)は台与です。~第405話:倭迹々日百襲姫(やまととももそ姫)


香川県で農地の開墾、開拓を行い四国の人々に食料を安定して供給することに成功した倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)=台与が阿波国の別名として愛比売(えひめ)=大宜都比売(おおげつひめ)*と呼ばれるようになったのです。倭迹迹日百襲姫命は7歳のとき倭国大乱を逃れるため、大和国黒田の盧戸を出立し、居を讃岐国水主に定めたのち成人まで住み給いて農業・水路・文化の興隆を成したとされています。


オケとヲケの二人は、丹波国与謝郡(京都府与謝郡)から、山城(山代)の苅羽井にやってきます。この山城(山代)の苅羽井が、京都府城陽市水主宮馬場でそこには水主神社があります。~前回:オケとヲケ(2):水主神社

新撰姓氏録の山城国神別に「水主直」が載り、火明命の後裔とされています。

火明命は、台与です。~第420話(火明命は台与):hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日


オケとヲケ=台与=ヤマトトモモソ姫であるとすれば、話はスッキリします。


第339話:丹の湖~亀岡盆地は湖だった!!では、「亀岡盆地湖を干拓したのもウツシコオで間違いないでしょう。」と書きました。亀岡盆地湖を干拓したのは、やはり稲作の推進のためでしょう。ウツシコオのそばには幼い台与もいたはずです。それが、丹波小子(たにはのわら)です。亀岡も丹波の一部です。このブログでは丹波(但馬)は投馬国としています。


ウツシコオは、丹波(但馬)は投馬国の王だったのです。

丹波道主王=丹波の大縣主:由碁理は、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=難升米です。~第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬) 第604話:鉱物と邪馬台国(2)~亀岡:錫


伊勢神宮の下宮に、豊受大神が祀られています。

その由来として、「天照大神が夢に現れ、丹波国の比治の真名井*に坐す我が御饌神・豊受大神を、我が許に欲り」とあります。

豊受大神は、台与です。~第415話:hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)


次回に続く(予定)


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>










 
 
 

3件のコメント

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tootake
3時間前
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銘文中の「日十大王」を、「曰十大王」(曰はイワク)であるとし、「曰」を(ヲ)と読み、「十」「計」の略字として、「曰十大王」を(ヲケ)(ケは乙類)と読んでいる。 「曰」を「ヲ」と読む例として石和田氏は、「曰佐」(ヲサ)を挙げている。 しかし有力な日本語学者が、「曰」は呉音(ヲチ)漢音 (ヱツ)となっていて、中古音では末尾に子音のtを伴う読みであるため、(ヲ)と読むのは末尾子音省略の略音仮名的な読みとなって、時代的には新しいもので鏡の年代とは合わないとした。

継体欽明朝の秘密 ー隅田八幡神社人物画像鏡銘文についての石和田論文を端緒としてー

137 隅田八幡神社人物画像鏡の銘文解釈 - 理系脳で紐解く日本の古代史

  • 「日十大王」を「日下大王」と読み替え大草香皇子(454年没)のことではないかとする説もある(万葉集の註に「日下」を「早」と書いた例があることから「日十」を「早」の一文字とみた神田秀夫の説。のちに森浩一は「日十」は「草」の簡体字とした)。

  • ちなみに古事記、上宮記によれば忍坂大中姫意富富杼王(おおほどのおおきみ)という兄弟がいるとされる。

  • 継体天皇の諱は「乎富等袁本杼(ヲホド)」であり、ハ行転呼以前の「男弟(ヲオト)」とは一致しない。

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tootake
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tootake
7時間前
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<台与シリーズ>

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衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!

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https://shirasasa.or.jp/ja/index.shtml#history

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%AB%BB%E7%A5%9E%E7%A4%BE

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