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卑弥呼の残像:元伊勢~小川谷の姫宮(吹田市)

  • tootake
  • 2 日前
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更新日:11 時間前

第672話 #笠縫邑 #イザナミは台与 #厳橿


大阪府吹田市に尺谷(〒565-0818)というところがあります。その尺谷には仮宮が存在しました。「宮」は皇族の住居や皇祖神を祀る社に用いられ、その他の豪族の氏神を祀る神社には使われません。


この付近には2つの伊射奈岐神社(佐井寺社と山田東社)があり、ともに雄略天皇23年に創建とされています。佐井寺社の社伝には、貞観から延喜(859-922)年間に伊邪那美神*を東北の地に遷座し、これを姫宮と称し、本社を奥宮と称したとあります。山田東社の社伝にも、雄略天皇23年に小川谷に姫宮を創建とあります。姫宮があったという小川谷の場所は不明ですが、吹田市山田東1丁目に「山田小川公園」があります。


*この伊邪那美神は、いわゆるイザナミのことではなく、豊受大神のことだと思われます。

この辺りは吹田市山田です。前回の万博会場のすぐ近くです。

伊勢にも山田(伊勢山田)という地名があります、伊勢神社の下宮があるあたりです。下宮で祀っているは豊受大神で、伊邪那美神ではありません。姫宮(=仮宮)の主神が豊受大神だからこそ遷宮元の吹田市の山田の地名が移されたのであり、逆に言えば、山田の地名が移されたからこそ、姫宮の主神が豊受大神であることを物語っています。


山田東社の社伝には、伊勢神宮の斎宮皇女・倭姫(栲幡姫皇女)の御示教により、岡本豊足彦(大佐々之命)(*下記)が神を奉祀するべき霊地をこの地に定めたとあります。


山田東社の社伝にある尺谷の「仮宮」と佐井寺社の社伝の「姫宮」が、ともに創建された年が雄略天皇23年である事から仮宮が姫宮であると思われます。伊射奈岐神社(佐井寺社)の社伝にも天照大神の神託を受けた斎宮倭姫の御示教により佐井寺社が雄略天皇23年に創建したとあります。


「仮宮の谷」を「借宮の谷」と記し、読み方を省略して「借谷」、これを「しゃくたに」と読み、「しゃく」を「尺」の字をあて「尺谷」になったと思われます。つまり、姫宮とは仮宮のことのようです。


尺谷には近年まで溜め池が存在していました。仁寿2年(852年)には、朝廷から諸国の国司・郡司に「池堰を修築し開墾を勧めよ」と発令があり、発令に従い姫宮を高庭山に遷し溜池を造ったとあります。高庭山が小川谷だとすれば、尺谷の仮宮から移動したのでしょうか。大阪府全志には「貞観前の仁寿2年(852)に姫宮の高庭山への遷座が行われた」とあり、勧請前に姫宮が存在したとしています。しかし地図で見ると尺谷も小川谷もほとんど同じ地です。尺谷には溜池があります。尺谷=小川谷=高庭山で、仮宮=姫宮ということでしょう。

山田小川公園~〒565-0821 大阪府吹田市山田東1丁目31

尺谷公園~〒565-0818 大阪府吹田市尺谷21−17


この尺谷の西隣には樫切山(〒565-0806)という地名があり、近隣の 須佐之男神社(大阪府摂津市千里丘3丁目)の由緒書きに、江戸期の寛永年間(1624年 - 1645年)に山田村長野の樫切山にあった三社の宮(みやしろのみや:三は御の略字)の御祭神を合祀とあります。樫切山交差点には大神木神社があります。

第636話:大神木神社と卑弥呼~吹田市山田では、次のように書きました。


伊勢の伊勢山田に鎮座するのは豊受大神です、吹田市の姫宮(仮宮)のある近辺の地名も吹田市山田です。さらに卑弥呼の残像:元伊勢(1)~吉志部神社(吹田市)で書いた吉志部神社(きしべじんじゃ)も、元伊勢神社の一つです。吉志部神社もこの近くなのです。


大神木神社の高札によると、今を去る二千有余年前、此の地に近在まれに見る大木があり、此の木を神木として崇め敬ひ人呼んで大神木神社と呼称すとあり、また 日本書紀によると今から凡そ二千昔 国中に災害疫病が起こり 国土が荒れ果てようとした時 第十代崇神天皇が宮中に祀られてあった皇大御神を倭の笠縫邑(かさぬいむら)に移し ここに(つまりこの大神木神社)に神*を神籬(ひもろぎ)に建て皇女の豊鋤入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)を神の守りとして奉仕させとあります。*ここで言う神とは、天照大神=卑弥呼の事と思われます。


元伊勢と呼ばれる神社は各地にありますが、この吹田市山田にある大神木神社と伊射奈岐神社のが一番最初の元伊勢では、だと思われます。というのも、この辺りは三島なのです。天王、五十鈴、玉櫛、丑寅などの地名が付近にはあります。天王はスサノオ、五十鈴は、玉櫛は卑弥呼です。この付近(三島)はこの三人の根拠地であったと思われます。

これらのことから、大神木神社を仮宮にしたのは、卑弥呼が亡くなった直後のことであったと考えられるます。仮宮が天照大神=卑弥呼を仮に祀った場所というのは、ここに卑弥呼

亡骸を一時期安置したということでしょう。と書きました。


崇神天皇が皇女豊鋤入姫命にその神霊を託して倭国笠縫邑磯城の厳橿(いつかし:神聖な樫の木)の元に「磯堅城の神籬」を立てたとあります。倭国笠縫邑磯城とは大阪府吹田市山田のことだと思います。樫の木は大神木です。前述の山田村長野の樫切山の地名の由来となったと思われます。磯堅城は磯切山の大神木神社でしょう。

倭国は、吹田、高槻、枚方といった北摂地域の事です。


岡本足彦は台与(豊)と思われます。足(たらし)は旅→道の連想からスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)・台与の事です。~第335話:双体道祖神

岡本足彦の別名は大佐々之命・大佐々伎之命(おおささき)とされており、大鷦鷯尊(おほさざき)=仁徳天皇 つまり台与(豊)です。~第582話:仁徳天皇(第16代)


豊鋤入姫命、豊受大神、倭姫は台与です。~

雄略天皇は台与です。~雄略天皇は台与(豊)!



<この付近の事を書いた記事>

第633話:観音菩薩と台与(6)~佐井寺~大阪府吹田市佐井寺(伊射奈岐神社

第636話:大神木神社と卑弥呼~吹田市山田大阪府吹田市山田市場

第654話:卑弥呼の残像:元伊勢(1)~吉志部神社(吹田市)大阪府吹田市岸部北


{参考文献}大神木神社 - Wikipedia


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<蛇足の追記>

では、正雀の地名について下記のように書きました。

本来の正雀の地は、正雀川の上流、千里丘陵の中にあります。

阪急南千里の東、千里ニュータウンの、高野台と佐竹台の境界となっている府道135のあたりに、北東から海老池を有する海老ヶ谷と、南西から佐井寺北谷が合流する地点があり、この合流点から丘陵の出口までが正尺(正雀)の谷です。亥子谷を境にして、上を「上正尺」下を「下正尺」と字名で山田下村に属していました。「正雀川」の名は、正尺を流れ下る川というところから付けられたものものです。近世から明治期の表記は、「正尺川」です。

佐井寺とは、上述した伊射奈岐神社と同じ場所にあります。つまり正雀(しょうじゃく)の雀(じゃく)は尺谷の尺(しゃく)と同じということです。



<元伊勢シリーズ>


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





 
 
 

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tootake
1日前
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河枯の謎4 地名「川枯・新川」は「越中国」にあるが「淡海国」にはない

川枯は甲賀

河枯と真鳥姫の謎

東國諸國造系譜』に頼り、國忍富命を息長水依比賣の父とするならば時代的に合うと思われる。だが、天目一箇命以降の先?の名を見るならば、近江野洲~伊賀~川枯(甲賀)周辺を居地としていたように思える。坂戸毘古命の居地が不明なので、國忍富命の居地まで推測できず残念。

https://jp248.exblog.jp/29483391/


尾張古論7    伊福部考(4)  河枯と真鳥姫の謎 | 女神物語 ー弥生神代の考察ー

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tootake
2日前
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五條天神社 (京都市) - Wikipedia

平安京遷都794年、桓武天皇の命により皇城鎮衛のため大和国宇陀郡から天神(あまつかみ)を勧請した洛中最古社。


少彦名命、天照大神、大己貴命を祀っており、病気退散・厄除け・農耕・医薬の神として信仰れています。 最澄と空海は唐渡航の無事を祈願したとされます。当初は「天使の宮」と称していましたが、後鳥羽天皇の時代に「五條天神宮(ごじょうてんしんぐう)」に改称しています。


豊臣秀吉の京都改造まで現在の松原通りが五条大路でした、またその際敷地内の鎮守の森を貫通した通りを新設したことから一帯の地名に天使突抜1丁目から4丁目の町名ができたようです。

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tootake
2日前
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<台与シリーズ>

hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)

https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)

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衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!

孝昭天皇は台与:日原は目原  飯豊王女は台与(トヨ)なのか?

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饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作  台与は饒速日②~交野市倉治

小楯姫は台与:小楯は枚方   四道将軍:日子坐王は台与! 

少彦名大神(スクナヒコ)は台与!  大彦は台与!??

ウマシマジは台与!    阿蘇都媛は台与

沼河比売は小楯姫=台与  タケミカヅチは台与!!

ヤマトタケルは台与  瓊瓊杵尊:ニニギは台与

継体天皇はトヨ(台与)??!  継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社

継体天皇は台与3~田井(寝屋川市)  英彦山と台与

山部赤人は台与!  八幡神は台与!!

とよ(乎止与命・台与・臺與)  台与の物語

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