卑弥呼の残像:元伊勢(8)~浜宮・伊勢部柿本神社
- tootake
- 4月23日
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更新日:4月24日
第661話
浜宮(濱宮)は、和歌山県和歌山市毛見にあります。主祭神は天照皇大神です。
日前國懸神宮元摂社(和歌山市秋月)で創建は神武天皇即位前と伝えられています。別名は奈久佐浜宮・浜宮神社です。伊勢神宮元宮(元伊勢)の1つの奈久佐浜宮(なぐさのはまのみや)であると伝えられています。和歌山市西南部の岬(毛見崎/駒ノ御崎)の中ほど、古くは「名草の浜」と呼ばれた海岸部に東面して鎮座しています。
紀伊国造家旧記によれば、神武天皇の東征に際して、「神鏡」「日矛」という2種の神宝(いずれも日前國懸神宮の神体)を奉じた天道根命*が、両神宝の鎮座地を求めて紀伊国加太浦に来着したといい、毛見郷南方の琴ノ浦(琴浦)に浮かぶ岩上に2種の神宝を奉安したのが創祀と伝えられています。
*天道根命はウツシコオです。~第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ
また続風土記の別の古伝では、崇神天皇51年に天照皇大神の神霊を奉じて鎮座地を求めた豊鋤入姫命が「名草浜宮(奈久佐浜宮)」を現社地に造営すると、琴ノ浦の天懸・国懸両大神も遷座して天照皇大神に並べ祀ったといいます。そして、崇神天皇54年11月に天照皇大神は「吉備*名方浜宮」へと遷座したが、天懸・国懸両大神はそのまま当地に鎮座、垂仁天皇16年に至って現在の日前國懸神宮の地へと遷座したと伝えられています。
*吉備名方浜宮とは、一説に「吉備」は吉備国(現・岡山県)と解されています。
吉備だとする前回で述べた岡山県総社市にある神明神社のことかもしれません。
さらに別伝として、毛見浦の海底から夜間に光を放つものがあり、海底から日前國懸神宮の神体である神鏡が亀*に背負われて出現したといい、亀は海中に戻ったが、その際に亀の毛が見えたために「毛見」と呼ばれるようになったとの伝えも残されています。*亀は浦島太郎=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。
籠神社の境内には亀の背に乗った倭宿禰(=ウツシコオ)の像があります。
伊勢神宮の創祀を述べた倭姫命世記など中世神話の文献では、奈久佐浜宮(なぐさのはまのみや)として、伊勢神宮創建以前に豊鋤入姫命が天照皇大神の鎮座地を求める途中で奉祀した宮の名を伝えています。倭姫命世記によれば崇神天皇51年に造営して3年間奉祀し、同天皇54年に「吉備名方浜宮」へと遷座したと記してあります。
一方、紀伊続風土記では、「吉備(きび)」が「毛見(けみ)」や「紀三井(きみい)*」などと音が通うことから、広く当地方一帯の呼称が「キビ」「キミ」であったと推測し、「名方浜宮」を海南市日方*の伊勢部柿本神社*に比定、「名方」も海南市名高の古称であろうとされています。
*紀三井(きみい)~この名草には第三十三箇所の一つである紀三井寺(金剛宝寺)があります。日前國懸神宮の近くで、各種の資料から断片的に見出される記述からは、日前國懸社と深い関係にあると見られていたことが分かっています。紀三井寺は第2二番札所で、第一番札所は、青岸渡寺で熊野那智大社です。~第543話:熊野の神々は、、、
なお西国三十三所霊場は空海(弘法大師)との関連が深い寺々です。空海はウツシコの直系の子孫です。第318話:空海のルーツは内色許男命! ~第322話:大名草彦と菟道彦(うじひこ)
*日方は、地名です。〒642-0002 和歌山県海南市
天日方奇日方命(あめひがた・くし・ひがたのみこと)の名前の元になった地です。天日方奇日方命は、櫛御方命、武日方命、阿田都久志尼命、鴨主命、久斯比賀多命と同一人物=ウツシコオです。別名は八咫烏、八咫烏鴨武角身命(やたからすかもたけつのみのみこと)
~第227話:天日方奇日方命
濱宮社の鎮座する地名「毛見」の文献上の初見は、大治2年(1127年)に日前國懸神宮が神領の範囲を記した文書で、毛見の地は古くから日前國懸神宮の神領とされています。中世を通じて「毛見郷」と呼ばれ、境内には末社・豊鋤入姫神社の南に隣接して「御腰掛石」という岩があります。これは、豊鋤入姫命が名草浜宮へ着いた折に腰掛けたものであると伝えています。豊鋤入姫命は台与(豊)です。~https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
名草(和歌山県和歌山市)は第256話:ウガヤフキアエズのミコトで書いたようにウガヤフキアエズが生まれた場所です。彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさ の みことウガヤフキアエ)の波瀲(なぎさ)は名草です。名草の由来について紀伊続風土記(1839年完成)に「ある説では渚の意味なり」と記されています。トヨタマヒメが草(かや)から名付けたとされることから、草で名づける:名草という地名になったのです。
このブログでは、ウガヤフキアエズのミコトはウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)としました。彦狭知(ヒコサチ)=ウガヤフキアエズということです。~彦狭知(ヒコサチ)の物語2~珍彦(ウズヒコ)
ウツシコオ(欝色雄命:難升米)、ウツシコメ(欝色謎命:卑弥呼)は兄弟(弟姉)ですので卑弥呼(ウツシコメ)もこの名草の生まれです。浜宮(濱宮)の摂社:中言神社の 祭神:名草彦命、名草姫命です。名草彦命はウツシコオで、名草姫命はウツシコメ(天照大神=卑弥呼)のことでしょう。
*伊勢部柿本神社(いせべかきもとじんじゃ)は、和歌山県海南市日方にあります。
ここも元伊勢とされていますが、柿本人麻呂と関連があると思われます。
なぜなら柿本人麻呂はウツシコオだからです。~第377話:猿丸幻想(2)~柿本人麻呂
関連項目:第92話:卑弥呼は名草トベ~和歌山市
<元伊勢シリーズ>
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

大宮五十鈴神社|大宮五十鈴神社について
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
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