卑弥呼の残像:元伊勢(17)~五十鈴神社
- tootake
- 5月3日
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更新日:5月3日
第671話 #伊勢遺跡 #女王国 #勧請縄
五十鈴神社は、滋賀県甲賀市水口町東林口にあります。祭神は当然、五十鈴姫のはずなのですが、祭神は、天照皇大神です。古来、神明社と号し、また、地名から、林口五十鈴神社とも呼ばれていました。1871年に現社名に改称しています。
天照大神を奉斎した倭姫命が4年間滞在したとされ、甲可日雲宮とある元伊勢の伝承地の一つです。
私は、五十鈴姫は台与であると思っているのですが、この五十鈴神社は、台与ではなく天照(卑弥呼)の神社であるようです。
五十鈴神社の近くには、東海道が通っており、ここから15キロほど西に行くと栗東市になります。栗東市には伊勢遺跡があります。大型建物群として、中央部に二重柵方形区画の中に整然と並ぶ建物群(政治・祭祀施設か)、その東に楼観が認められているほか、方形区画を取り囲むように円周状に並ぶ独立棟持柱付建物群(祭殿と思われます)、北側に竪穴建物(首長居館)が発掘されています。これまでの調査において検出された大型建物は計13棟を数え、その様相からは近江南部地域における政治・祭祀の中心地であったと想定されており、魏志倭人伝に見える「クニ(國)」の1つになるとして注目される遺跡です。
~第362話:伊勢遺跡~瀬田川が京治バイパス
第366話:狗奴国と女王国では、この伊勢遺跡が卑弥呼の女王国であるとしています。
この伊勢遺跡のある守山市・栗東市はかつて物部郷と呼ばれていました。(和妙抄には近江国栗本(栗太)郡五郷の一つとあります。)
栗東から甲賀辺りは、卑弥呼の拠点であった可能性が非常に高いと思います。栗東からは野洲川で、いったん琵琶湖に出て、瀬田川を下れば卑弥呼=内色許売命(ウツシコメ)のもう一つの拠点地である内里(京都府八幡市)に歩かずに行けます。
五十鈴神社の鳥居をくぐると、両側の木の間に勧請縄が掛けられています。勧請縄とは村の外から疫病や災厄が侵入することを防ぐ「道切り」の役目をしています。海老と呼ばれる藁飾りと御幣、祈願内容を書いた勧請板が付けられています。鳥居の横の木の間にも、もう1箇所勧請縄が掛けられていました。この一角は旧東海道の一里塚があった場所なので、それが関係しているのかもしれません。
・勧請縄(かんじょうなわ)は、村境(地域・地区の域内・外のさかい)に、呪物を付した注連縄を張る習慣。道切りとも呼ばれます。日本全国の農村地域では、疫病などの災厄が域内に入るのを防いだり、災厄を賦与して域内から追い出す意味合いで、藁や草で作った縄、人形、わらじなどを村境に祀る例が残っています。近畿地方周辺では、福井県若狭地方、滋賀県湖東・湖南地方、三重県伊賀地方、奈良県東部山間部、京都府南山城地域などにまとまって分布していて、勧請縄の他、勧請吊(かんじょうつり)という呼称もあります。
注連縄には農具や生活用品、また男根や女陰をかたどった藁製のツクリモノを下げます。
この勧請縄は、私見ですが第538話:傍示石~聖徳太子の投げ石で書いた傍示石との関連が窺えます。傍示石(ぼうじ)とは、領地・領田の境界を示すために、その立てたもの石柱のことです。兵庫県の太子町では、鵤荘傍示石は、代々「お太子さんの 石」といって人々から尊ばれ大切に保存されています。
甲賀市の五十鈴神社は、間違いなく元伊勢です。なぜなら栗東市の伊勢遺跡との関連があると思うからです。
<元伊勢シリーズ>
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

*神名* 大水口宿禰 | かむながらのみち ~天地悠久~
*神名* 由碁理命 (建諸隅命) | かむながらのみち ~天地悠久~
大津廃寺は現在の県庁そばにあったとされ、旧滋賀会館一帯の開発に伴う発掘調査で溝や土坑とともに、白鳳から平安時代の瓦類や土器が出土した。著書では、天智天皇が創建した崇福寺跡(大津市滋賀里町)で出土した瓦と同じ鋳型の瓦が大津廃寺跡で見つかったことなどから、僧寺(男性僧侶の住む寺)の崇福寺に対する尼寺として大津廃寺を造営した可能性が「極めて高い」とする。
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
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https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語