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元伊勢(14)忍山神社

  • tootake
  • 4月29日
  • 読了時間: 6分

更新日:5月4日

第667話 #ヤマトタケル #弟橘姫 #忍山宿禰

 

忍山神社(おしやまじんじゃ)は、三重県亀山市野村にあります。

主祭神は、猿田彦命、天照大神で、全国の猿田彦大神をお祀りする神社の中で最も古い神社です。

皇太神宮儀式帳に「河曲鈴鹿小山宮」、倭姫命世記に「奈其波志忍山宮」とあり、天照大神を奉斎した倭姫命が滞在した元伊勢の伝承地の一つです。倭姫命が天照大神を奉じ、桑名野代宮から鈴鹿に来た際、この忍山にて神宮を奉斎した忍山神宮の旧跡とされています。


社伝では、「崇神天皇7年(紀元前91年)の御代に勅命をもって、伊香我色雄命(イカガシコオ)に猿田彦を鎮座せしめられた。伊香我色雄命の子、大水口宿禰の子孫(80代)相継いで神主となり明治に至る。垂仁天皇御代に皇女倭姫命が御杖代となって天照大御神の鎮座の地を求めて、大和の国から忍山に御遷幸になり、半年御鎮座された。その跡をかしこんで大神を奉斎した。」とあります。


また、この地は、日本武尊(ヤマトタケル)妃:弟橘媛は当社祀官:忍山宿禰(オシヤマノスクネ)の娘と伝えられています。亀山市田村町には能褒野神社があります。ヤマトタケルははこの能褒野(能煩野:のぼの)で死去したといいます。


景行天皇御代に皇子日本武尊は東征に際し、忍山神社に立ち寄られ、忍山神社の神主:忍山宿禰*の長女弟橘媛を妃とされ、媛は東征に従われ、相模の海が海神の怒りで荒れたため、入水してその怒りを鎮められたと伝承されています。


つまりこの忍山神社は、猿田彦、ヤマトタケル、弟橘姫にゆかりのある神社なのです。普通に考えれば、猿田彦とヤマトタケル、弟橘姫は、何の関係もないように思えます。しかし、このブログでは、ヤマトタケル=弟橘姫は台与としています。第439話:ヤマトタケルは台与 そして猿田彦はスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)です。~第367話:椿の記憶~猿田彦と朱


 *忍山宿禰(おしやますくね)

 日本書紀:景行天皇条に、日本武尊の后である弟橘媛の父として登場します。穂積氏(物部氏系)の祖とされていますが、穂積氏(物部氏系)の祖は、ウツシコオ(内色許男命)です。穂積は大阪府茨木市の地名です。〒 567-0044

古事記:成務条では、成務天皇(第13代)の后である弟財郎女(オトタカラノイラツメ)の父として「忍山垂根」の名で登場します。成務天皇はヤマトタケルの兄弟です。

ヤマトタケルの后が橘姫で、成務天皇の后が財郎女ですが、橘姫=財郎女=台与で成務天皇もヤマトタケル=台与ということです。

弟姫は、台与です。~第501話:乙姫・弟姫・弟彦・乙彦


忍山宿禰もウツシコオです。記紀で宿禰(すくね)と付く人物はすべてウツシコ(あるいは台与)です。


忍山の忍は、第494話:忍坂(押坂)は忍が丘(四条畷)で書いた忍坂(押坂)の忍だと思います。


日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の后である弟橘媛(オトタチバナヒメ)も日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の東征の折、荒海を鎮めるため入水したとされています。

現在の東京湾沿岸の袖ヶ浦市と習志野市とに袖ヶ浦という地名がありますが、これは弟橘媛の着物の袖が流れ着いたという伝説から名付けられた地名だといわれています。右と左の袖のうち、片方が袖ケ浦市に、もう一方が習志野市に流れ着いたともされます。

・猿田彦も伊勢の阿邪訶(あさか)で溺れて死んだとされています。~元伊勢(11)~阿射加神社

・東国の平定を終えた日本武尊(ヤマトタケルはが内津峠に差し掛かった時、早馬で駆けてきた従者から副将軍である建稲種命が駿河の海で水死したとの報告を受けました。と書きました。愛知県西尾市吉良町宮崎にある幡頭神社の社伝によりますと東征の帰路、「幡頭」を務めた建稲種命が駿河(伊豆)沖の海で水難事故で死に、遺骸がこの岬の宮崎海岸に流れ着き、村人達により葬られたと伝えられています。その遺骸が宮崎の海岸に流れ着いたのを村人が祀ったことが由来とされています。第440話:台与は水死したのか??


忍山神社は、明治41年村社能牟良神社他、近隣の20社を合祀したため、現在までに、天照皇大神・天照皇大神荒魂、倭姫命、太玉命、天児屋根命、大比古命、乙若子命・大若子命、天鈿女命、大山祇命、豊宇賀乃売命、神吾田鹿葦津姫命・木花開耶姫神、饒速日命、大水口宿根(饒速日命の子孫)、忍山宿禰、建速須佐之男命、大名牟地命、伊弉諾神、伊弉冉神、市杵島姫命、菅原道真、伊香我色雄命が配祀、合祀されています。


このブログでは、第566話神武天皇と橿原神宮  から第584話:反正天皇(第18代)は、、、まで、歴代天皇について書いていたのですが、成務天皇だけ飛ばしていました。成務天皇の事績としては、日本で初めて行政区画を定めたとされており、諸国に国造と稲城を置き山河で国境を定めたとされてるくらいです。諡号の稚足彦天皇(わかたらしひこのすめらみこと)の、稚は若、足彦(たらし)であることから、台与であることが窺われます。~第579話: 印南別嬢(いなみのわきいらつめ)


<まとめ>

・今回も、天照大神(卑弥呼)の面影はほとんどありません。

・ウツシコオ(難升米)と台与(豊)の存在は強く感じられました。

・元伊勢は、交通(街道)の要所にあるようです。


<元伊勢シリーズ>


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





 
 
 

3 Comments

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tootake
Apr 28
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