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元伊勢(16)~笠縫神社(多神社)

  • tootake
  • 4 日前
  • 読了時間: 6分

更新日:2 日前

第670話 #秦氏 #豊鍬入姫 #空海


笠縫神社は多坐弥志理都比古神社(多神社)の境外末社です。奈良県田原本町秦庄(はたのしょう)の秦楽寺(じんらくじ)の境内にあります。多神社は、奈良県磯城郡田原本町大字多字宮ノ内で、多神社と笠縫神社の距離は五百メートルくらいです。なぜか、笠縫神社の祭神は不明とされています。


多神社の祭神は朱祭神は神倭磐余彦尊(かん・やまと・いわれ・ひこ=神武天皇)

神八井耳命(神武天皇皇子)、神沼河耳命(綏靖天皇)、姫御神(玉依姫命)、太安万侶

です。神八井耳命(神武天皇皇子)、神沼河耳命(綏靖天皇)は台与であることはすでに述べました。~神八耳命は台与(豊)、第567話:綏靖天皇(第2代天皇)


多神社(おおじんじゃ)の正式な名前は、多坐弥志理都比古神社(おおに・います・み・しりつひこ・じんじゃ)です。一般には多神社(おおじんじゃ)と呼ばれ、多社、多坐神社、太社、意富(おお)社とも書かれます。多氏の祖神である神八井耳命を祀ったものとされています。神倭磐余彦尊(神武天皇)は後から(記紀が創作されてから)、追加で祀られたのでしょう。


延喜式神名帳には「大和国十市郡 多坐彌志理都比古神社二座」と記されています。

珍子 賢津日霊神尊(うつのみこ さかつひこのみこと)

天祖 賢津日孁神尊(あまつおや さかつひめのみこと)


第575話崇神天皇(第10代)は志理都比古では 多坐彌志理都比古神社の二座とは、珍子 賢津日霊神尊(うつのみこ さかつひこのみこと) と天祖 賢津日孁神尊(あまつおや さかつひめのみこと)です。としました。

珍子 賢津日霊神尊はウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王です。珍子(うつのみこ)とは、内(うち)=珍彦(うずひこ)=宇治彦(ウジヒコ)~うず彦(椎根津彦) 塩土老翁~浦島太郎2  猿田彦は塩土老翁神    鴨王~瀬戸内海

・天祖 賢津日孁神尊(あまつおや さかつひめのみこと)とは、初代天皇の台与でしょう。

・神八井耳命は台与ですので、多坐弥志理都比古神社が神八井耳命を祀っていても問題はありません。神八井耳命=崇神天皇=台与(豊)です。~神八耳命は台与(豊)


社名の弥志理都比古(みしりつひこ)とは、ミ・シリツ彦でミは尊称の御(み)です

古事記・日本書紀では開化天皇の次の天皇は、崇神天皇ですが、海部氏勘注系図では、開化天皇の次の天皇は、志理都比古(しりつひこ)になっています。但馬故事記でも開化天皇の次は、弥志理都比古となっています。志理都比古=崇神天皇=台与です。


神八井耳命は神武天皇の第二皇子でありながら弟に皇位を譲り、表舞台から退いた。「身を引いた」ことが“ミシリツヒコ”の由来ともいわれるているのは、俗説です。

記紀神話には、「神八井耳命は皇位を弟に譲り、自らは神祇を祭る」とありのは、俗説をもとに記紀の作者たちが創作したのでしょう。


ところで笠縫神社のある秦楽寺(じんらくじ)は奈良県田原本町秦庄にあります。秦庄にあることから、秦氏の寺院です。寺伝では、大化3年(647年)、百済王から贈られ、聖徳太子から秦河勝に下賜された観音を当地に安置したことにはじまるといいます。聖徳太子が、斑鳩から都に通った道であると伝えられる筋違道太子道)は、寺の少し北を通過しています。秦河勝はウツシコオで、聖徳太子は台与です。~第462話:秦河勝:摩多羅神はウツシコオ!  、聖徳太子は台与(豊)です。聖徳太子は菟道稚郎子?! 聖徳太子伝説~堀江と茨田堤


古来より、付近は秦氏の居住地で、雅楽の楽人や猿楽にも関係する人たちが居ました。門前にある寺の説明板には、「秦楽とは、秦の楽人である」とかいてあります。

また、江戸初期の狂言役者・大蔵虎明による伝書:わらんべ草などには、寺の前に、猿楽役者の金春大夫の屋敷があったと記されています。金春家は秦氏を名乗っています。


秦氏一族の有した優れた農耕水産被服技術の一部であったと思われる演舞を得意とする皆さんが集まり、やがて能の金春流という芸術となっていったのだそうです。弘法大師様の名残りは、阿、という形をした池に残っています。大同2年(807年)、から帰国した空海が、境内に梵字の「阿」の形の池を作ったとされています。この阿字池は、7~8月に咲くの花で有名です。


空海も秦氏です。空海の母の出自の阿刀(安斗、阿斗、安刀、安都、あと)氏、そして高野山麓の丹生(にう)氏なども深い関係があります。~第609話:鉱物資源と邪馬台国(7)空海と丹生都姫:水銀


笠縫神社祭神は不明ですが、元伊勢とされているなら33年間笠縫村で奉斎したとされる豊鍬入姫命のはずです。記紀の作者たちは、徹底的に台与の存在を隠しています。笠縫神社祭神は意図的不明とされているのではと、勘ぐってしまいます。


<元伊勢シリーズ>


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





 
 
 

4 Comments

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tootake
3日前
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神さまの分霊(わけみたま)を他の神社が迎えて祀ることを神道において勧請するというのですが、神さまを勧請することを分祀(ぶんし)ともいい、分祀された神社を分社(ぶんしゃ)や今宮(いまみや)と呼びます。


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tootake
4日前
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近江八幡での伝説は、『当時この辺りは葦原で寂しい孤島であったが、惟喬親王の船が京から遁れてきてこの地に隠れ住んだ。

岩屋に住まわれた親王は郁子(むべ)を常食として過ごされていたといい、村人に手芸や細工などを教えられた。』(近江八幡ふるさとの昔ばなし)

奇しくも同じ地域にある「大嶋奥津島神社」には天智天皇と郁子(むべ)の伝説が残り、「むべなるかな」の由来となっているのは実に興味深い。


近江八幡市(西の湖の水郷)の勧請縄を巡る!~白王町「若宮神社」・中之島町「天之御中主命神社」~ - 僕はびわ湖のカイツブリ

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tootake
4日前
Rated 5 out of 5 stars.

<台与シリーズ>

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