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元伊勢(番外編)~神呪寺:真名井御前

  • tootake
  • 5 日前
  • 読了時間: 6分

更新日:2 日前

第669話 #淳和天皇 #空海 #瀬織津姫


神呪寺(かんのうじ)は、兵庫県西宮市甲山にあります。ここは元伊勢ではありませんが、眞名井と関係がある場所なのです。第657話:卑弥呼の残像:元伊勢(4)~真名井神社

で眞名井社のことを書きました。真名井神社 (まないじんじゃ)は、京都府宮津市江尻にあります。日本三景の一つ、天橋立にある籠神社は元伊勢とも呼ばれる由緒正しき神社です。その籠神社の奥宮にあたるのが真名井神社です。


神呪寺には、真井御前(まないごぜん) の伝承が残っています。

真井御前は、第53代淳和天皇の第四妃です。神呪寺は出家した真名井御前(如意尼)のために淳和天皇の勅願によって開かれた真言宗の寺です。 空海が作った如意輪観音像を本尊として、天長8年(831年)10月18日に本堂は落慶しています。妃は、空海より剃髪を受けて、僧名を如意尼とします。 如意尼が出家する以前の名前が、真井御前(まないごぜん)です。 また神呪寺の鎮守は弁才天で、は水を支配する神でもあり、水運に関係のある者は古来より信仰を深めてきています。ちなみに真名井とは、水に対しての最高位の敬称です。


神呪寺は、「神を呪う」という意味ではなく、甲山(西宮市)を神の山とする信仰があり、この寺を神の寺(かんのじ)としたことによるといいます。神呪(じんしゅ)とは、呪文マントラ真言とほぼ同義で、「仏の真の言葉」という意味です。開山当時の名称は「摩尼山・神呪寺(しんじゅじ)」であり、「感応寺」という別称もあったようです。


真名井御前は、瀬織津と同一視される名前であるとされています。

また、神呪寺の弁才天は、六甲山系全体を所領とする廣田神社祭神、撞賢木厳魂天疎向津姫(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)またの名:瀬織津姫のことで、水を支配する神でもあり、水運に関係のある者は古来より信仰を深めてきました。六甲山付近は瀬織津姫を祀った場所が多く残されています。~第470話:石の宝殿3~六甲山


皇太子時代の淳和天皇は夢告に従い、四天王寺創建に伴って聖徳太子が開基した京都頂法寺(六角堂)にて、丹後国余佐郡香河(かご)村の娘と出会い、これを第四妃に迎えます。香河では小萩(こはぎ)という幼名が伝わり、この小萩=真名井御前をモデルとした小萩観音を祀る寺院があります。古代、丹後国は中央氏族とは別系統の氏族(安曇氏などの海人系氏族)の勢力圏であり、この余佐郡の娘、小萩は日下部氏の系統である可能性が高いとされています。

・丹後国余佐郡は台与の拠点地の一つです。

・六角堂も台与、ウツシコオと関係のある地です。~第519話:六角堂と平安京

ウツシコオと台与は安曇族です。~彦狭知の物語(3)~安曇氏

・日下部氏~日下(くさか)は東大阪市の地名です。ここには、饒速日(ニギハヤヒ)を祀る石切神社があります。饒速日は台与です。


元亨釈書によれば、真名井御前=如意尼は、如意輪観音への信仰が厚く、念願であった出家を行うためにひそかに宮中を抜け、頂法寺(六角堂)で修行をし、その後今の西宮浜(御前浜)の浜南宮(現・西宮神社)から廣田神社、その神奈備山である甲山へと入り、この時、妃は空海の協力を仰ぎ、これより満3年間、神呪寺にて修行を行ったといいます。


天長7年(830年)に空海は本尊として山頂の巨大な桜の木を妃の体の大きさに刻んで、如意輪観音像をり、この如意輪観音像を本尊として、天長8年(831年)に本堂は落慶します。同日、妃は空海より剃髪を受けて僧名を如意尼とした。如意尼が出家する以前の名前が真井御前(まないごぜん)です。


神呪寺の弁財天は元亨釈書18巻でも登場し、六甲山系全体を所領とする廣田神社祭神(兵庫県西宮市大社町)、撞賢木厳魂天疎向津姫(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)またの名:瀬織津姫のことで、水を支配する神でもあり、水運に関係のある者は古来より信仰を深めてきました。瀬織津姫は台与です。~大神神社を探る(7)~綱越神社


六甲山神社境内の石製の神殿の奥に六甲山大権現が祀られています。これが神社名由来の古くからの本来の主祭神と考えられ、六甲山石の宝殿が「広西両宮絵図」に西宮鎮守とあること、六甲山全域がかつての廣田神社の社領であったこと、六甲山がかつては向津峰(ムカツミネ)と呼ばれていたことから、廣田神社祭神、撞賢木厳魂天疏向津媛命*(ツキサカキ・イズノミタマ・アマサガル・ムカツヒメノミコト)の奥宮としてとらえることます。

*六甲山大権現=撞賢木厳魂天疏向津媛命ということです。

*撞賢木厳之御魂天疎向津媛命は、伊勢神宮内宮の第一別宮荒祭宮祭神と同体とされています。


◎真井御前に関する伝説は、すべて台与をモデルとした作り話でしょう。


空海は海人系の氏族の出身だったといわれています。空海はウツシコオ・台与の直系の子孫です。~第318話:空海のルーツは内色許男命!


修行から戻るよう淳和天皇天皇に求められた真名井御前は、空海の伝法灌頂を受けて阿闍梨となり神呪寺に住み続けます。空海と如意尼の間には恋愛関係があったのではないかとも言われています。(もちろん作り話です。)


<元伊勢シリーズ>


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



          弁財天    asimaniacos.blogspot.com


 
 
 

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