第375話
占い師が目の前に二人います。一人は大きな不思議な色に輝く大きな玉を持ち、かたやもう一人は小さな少しくすんだどう見てもガラス玉を持った占い師がいたとします。あなたはどちらの占い師に相談しますでしょうか。ほとんどの人が輝く玉を持った占い師の方に行くでしょう。
そびえ立つ社殿をもつ神社の前に立った時、人々はその壮大さ、荘厳さに心を打たれこの神社には何かがあると思ってしまいます。しかも礼拝の仕方は他の神社と異なり「二礼、四拍手、一礼」です。
上古の出雲大社(神代の後、平安より前)は高さは32丈(およそ96m)であったそうです。空に向かって延びた何本もの柱の上に社が建つというものでした。東大寺大仏殿や平安京大極殿より大きかったということになります。
2000年(平成12年)の調査では、巨大な宇豆柱(1本約1.4mの柱を3本束ねたもの)が発掘されています。古代社殿の柱ではと騒がれました。
出雲大社はいわゆる 国譲り の事情のもとで創建されたとされています。659年(斉明天皇5年)に、出雲国造に命じて「神之宮」を修造させたと日本書紀にあります。第350話:遣隋使とウツシコオ で書いたように、倭国(日本)は遣隋使でそうとう恥をかいたようです。600年の遣隋使で恥をかいた日本は、遣隋使(けんずいし)の失敗を誰かのせいにしたかったに違いありません。そこでかつて中国大陸(魏)に行ったことのあるウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=大国主のせいにしたかったのではないでしょうか。そこで620~630年に出雲大社の高層化を図ったのでしょう。出雲大社をさも意味深くおもわせるために、、、
出雲大社(杵築大社)はかつて、32丈(およそ96m)であったとされ、現在では巨大なしめ縄が注目されていますが、これはかつての大阪万博の月の石や太陽の塔のようなもので、客寄せのためのはったりです。国譲りで大国主が「天津神の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしい」と言ったとされていますが、何らかの曰くいわくいわれが必要で国譲り自体が創作された話です。
これはプラセボ効果です。庶民は権威に弱いのです。もっともらしいものに権威を感じ恐れ入るのです。光り輝く水晶の玉と同じ手法です。占いなどは科学的には何の根拠もないのすが心理効果は抜群に認められます。占い師は超能力者ではありません。普通の人間です。出雲大社を建てたのは神様ではありません。ヤマト国家の権力者です。
プラセボとは、有効成分が入っていない偽薬で、本物の薬と見分けがつかないように作られています。乳糖やでんぷんなどを錠剤やカプセルにして、薬のように見せることがあります。プラセボを服用することで、病気の症状が改善することがありますが、反対に副作用が出ることもあります。この効果は、患者さんの暗示効果や期待効果、治療環境などの諸要因により生じるものです。
ポイントは、本物の薬と見分けがつかないようにすることです。これが占い師の水晶玉や出雲大社の巨大な社にあたります。要はいかにして信じさせるかです。
私は、東大阪市の石切神社(石切さん:祭神は饒速日命)へは月参りしています。ここは大阪では有名なデンボ(腫瘍)の神様です。私は薬剤師ですので言わせてもらうとこの神社の祈祷と内服の抗がん剤を比較すると延命効果にそれほど違いはありませんが、精神の安らぎでいえば圧倒的に石切神社の祈祷のほうが効果があります。
私が病院に勤務していた当時は、オプジーボなどもなく、内服の抗がん剤は患者さんを苦しめるだけで、これなら神社の方ましだと思っていました。私は、以前から個の医学 とか、NBM (hi-ho.ne.jp)を紹介していました。NBM~患者一人一人の物語に基づいた医学
*オプジーボは、体質が合えば(遺伝子検査で予測可能)劇的に効果があるようです。
*今回は、何故、出雲に壮大な神社を建てたのかという友人からの質問に答えるために書きました。
関連項目:四拍手はハッタリ?!
プラセボ(無駄口薬理学) |
関連項目:四拍手はハッタリ?!
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
<目次>
blog.goo.ne.jp|500 × 375 jpeg
出土した巨大な柱は鎌倉時代のもの NHK]美の壺 出雲
宇豆柱 宇治 高木ウツシコオ 伊勢
ようこそ五十河へ | いのちの里 京都村 (kyotomura.jp)
第343話~ウツシコオの弟
高天彦神社
ここはタカミムスビを祀っていますが、「高天彦」は「建田勢命」の亦名として、『勘注系図』は記しています。そして「建田勢命」の妃に「葛木高田姫」を記しています
<邪馬台国の新常識>
ウガヤフキアエズのミコト
邪馬台国の誕生
徐福伝説と「呉の勝」
日向は大阪府守口市
櫛名田比売2~八雲は守口市
ウツシコオの名前についての弁明
多氏と長脛彦
饒速日と長脛彦
<河川は古代の高速道路>
市寸島比売は厳島!~広島・三島 )
真舌媛は、宗像三女神!~三島(茨木市)
全ての道は三島に通じる。
<欠史八代の天皇の正体>
素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇
丹・朱を求めた天皇たち
<大彦>
大国主は、大彦
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子