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内色許男命(ウツシコオ)最後の陰謀 ~長脛彦の最後

更新日:4月15日

第71話


ウツシコオ(内色許男命)こと難升米は弘法大師と同じくらい天才的頭脳を持っていたと思います。中国語(魏の言葉)は通訳なしにしゃべれたはずで、魏の官僚たちにかなり気に入られてようです。


ヤマトの宰相となった難升米(ウツシコオ)は、太守の劉夏に皇帝への拝謁を願い出ました。劉夏はこれを許し、わざわざ都まで役人と兵士をつけてくれました。弘法大師(空海)

は難破し海賊ではないかと疑われますが、たどり着いた福州の長官へ嘆願書を代筆しています。その理路整然とした文章と優れた筆跡により長安に入ることができました。


難升米は皇帝に謁見して、男の生口4人と女の生口6人、それに班布2匹2丈を献じました。皇帝は詔書を発し、遠い土地から海を越えて倭人が朝貢に来た事を悦び、卑弥呼を親魏倭王と為し、金印紫綬を仮授しました。

皇帝は難升米の旅の労苦をねぎらい、難升米を率善中郎将に為して銀印青綬を授けました。皇帝は献上物の代償として絳地交龍の錦5匹、紺青50匹、紺地句文の錦3匹、細班華の毛織物5張、白絹50匹・金8両・五尺の刀を2ふり・銅鏡100枚、真珠、鉛丹を各50斤などの莫大な下賜品を与えました。


これまで、このブルグではやたらと「ウツシコオの陰謀」などと悪口のように書いて来ました。ウツシコオは、自分がヤマト(邪馬台国)を牛耳たいと思ったのではなく、単純によりよい国家を目指したという考えもできます。


大彦(大国主=綏靖天皇)は、利権を得るために兄のタギシ耳(次期天皇予定)を殺しています。大彦にヤマトを任せられないと判断したウツシコオは、志能備(しのび:忍び:忍者)を使って、大彦を暗殺を実行しました。大彦(大国主)は、命はとりとめたものの再起不能となってしまいます。


ウツシコオは、大国主(大彦)の子の事代主(三島の溝杭=陶津耳命)ウマシマジ(饒速日亡き後の物部のリーダー)を呼んで、相談をします。


五十鈴姫(ホト・タタラ・イスケヨリヒメ)は三島の溝杭の孫で大彦(大国主=高倉下)の娘です。この姫を次期天皇のミ・マキ入彦に嫁がせることをウツシコオは提案します。

五十鈴姫はウマシマジにとって兄の娘で自分の娘のようなものです。ヤマト朝廷はウマシマジの思うがままになります。決して悪い話ではありません。しかし、ウツシコオは一つの条件を出しました。長脛彦を殺してほしいとウマシマジに頼んだのです。饒速日(孝元天皇)が崩御した後、長脛彦の態度がおかしいというのです。河内を国(狗奴)と呼び独立国家となっていたのです。このままでは、長脛彦はヤマトを乗っ取ってしまうだろうとウツシコオはウマシマジをそそのかします。


248年(魏の正始9年)ウマシマジは、大伴と久米の兵をつれ、さらに大彦から受け継いだ騎馬隊を用いて長脛彦を日下(クサカ:東大阪市)の石切神社付近で見事に打ち取りました。イシキリとはアイヌ語で手足の長いものの意味です。記紀では長髄彦一族討伐のために道臣命(大伴の祖)とウマシマジを征軍の長に任じ、征伐に成功したことから天皇は大伴氏に三島(高槻)の土地を与えたことが書いてあります。


五十鈴姫は、ミ・マキ・イリヒコ:御牧入彦(崇神天皇)の后となりました。これでヤマトはウマシマジのものになるはずでした。しかし、、、ウマシマジは信用を無くしてしまったのです。ウマシマジが討ったのは、物部の正規軍です。本来はウマシマジが率いるべき軍隊です。もう物部の一族はウマシマジをトップとは認めません。それこそウツシコオの狙いだったのです。


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志能備(しのび)~聖徳太子が、大伴細人(おおとものほそひと)を「志能備(しのび)」として用いたとの伝承があります。


クガミミの暗殺は、ウツシコオではなく、大彦(大国主)が企てた可能性が大いにもあります。クガミミの暗殺が、タケハニヤスの乱に繋がっていくからです。



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。。 

※これまでの記事はこちらです。


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