サナギ(銅鐸)はイザナギ!
- tootake
- 2024年6月21日
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更新日:2024年6月22日
第355話
銅鐸は、サナギと呼ばれていたそうです。
大正・昭和期の著名な詩人であり、思想家であり、歴史民俗学者であった福士幸次郎は、古代日本の鉄文化の源流を求めて国内各地を踏査し、鉄文化の研究を通して、ヤマト民族の源流を跡付け、日本古代史を独創的な学問体系に位置づけました。日本民族は、「世界に於いて鉄を最も古くから使用した民族の裔」であるとされておられます。
銅鐸は鐸(サナギ)と思われ、かつて日本にサナギ(銅鐸)を祭る信仰が存在し、日本民族の祖先は、南方系の海洋民族で鉄の技術を持っていた阿曇(アツミ)族であると、独創的な発想をされておられます。参照:海人族~ワタツミ
しかし、生涯在野の詩人であり研究者であった福士幸次郎の唯一の著作「原日本考」』とその独特な発想に基づく研究は、黙殺され続けてきました。
元々銅鐸の意味は、葦原の根の部分に生成される褐鉄鉱の集合体である高師小僧の生育を願って始められた祭祀とする説があります。高師小僧~大阪府高石市
高師小僧の褐鉄鉱を使った製鉄が、砂鉄を使ったタタラ製鉄に切り替わって行くとともに、
銅鐸の重要性は薄まり、「聞く銅鐸」から「見る銅鐸」に変化していったのです。
初期の「聞く銅鐸」の中でも最古の形式である「Ⅰ式 菱環鈕式(りょうかんちゅうしき)」の銅鐸は、淡路島で出土しています。菱環鈕(りょうかんちゅう)式銅鐸は、横方向に帯を巻いたような横帯(おうたい)文があることから横帯文銅鐸とも呼ばれます。弥生時代の古式銅鐸ばかりが発見される淡路島の銅鐸を象徴しています。
銅鐸や鉄鉱採取の製鉄文化を担った神を、サナギの神とし、その名に接頭語である「イ」を付け、イザナギ神になったと指摘されています。
阿波に佐那河内村があったり、阿波の隣が讃岐国と呼ばれるように、佐那、佐那伎(草薙?)、佐那具、佐波、散去、散岐、讃岐、佐鳴、猿投などの、サナ・サヌの付く地名は、銅鐸と関わりのある地名だと考えられます。
イザナミ(伊弉冉)は、イザナギの対比するために創作された神でしょう。
関連項目:淡路島と伊弉諾(いざなぎ)
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
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<目次>
建角身命もウツシコオ (hidemaru3375.com)
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<邪馬台国の新常識>
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邪馬台国の誕生
徐福伝説と「呉の勝」
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櫛名田比売2~八雲は守口市
ウツシコオの名前についての弁明
多氏と長脛彦
饒速日と長脛彦
<河川は古代の高速道路>
市寸島比売は厳島!~広島・三島 )
真舌媛は、宗像三女神!~三島(茨木市)
全ての道は三島に通じる。
<欠史八代の天皇の正体>
素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇
丹・朱を求めた天皇たち
<大彦>
大国主は、大彦
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
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八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
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饒速日はスサノオの子