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建御雷神(タケミカヅチ)

更新日:4月9日

第113話


建御雷神(武甕槌神:タケミカヅチ)は鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の主神として祀られていることから鹿島神(かしまのかみ)とも呼ばれています。雷神、かつ剣の神とされ。建御名方神と並んで相撲の元祖ともされる神です。また鯰絵では、要石に住まう日本に地震を引き起こす大鯰を御するはずの存在として多くの例で描かれています。


出雲の国譲りの話では「出雲の伊耶佐小浜(いざさのおはま)に降り立った建御雷神は、十掬の剣(とつかのつるぎ)を波の上に逆さに突き立てるとその切っ先の上に胡坐をかいて、大国主神に対して国譲りの談判をおこなった。大国主神は、国を天津神に譲るか否かを子らに託した。大国主の子の事代主神は、すんなり服従した。もう一人の大国主の息子である建御名方神(タケミナカタ)は、建御雷神に力比べを挑むも、手づかみの試合で手をつららや剣に変身させ、怯んだ建御名方神はその隙に一捻りにされたため、恐懼して遁走し、科野国の洲羽の湖で降伏した。これによって国譲りがなった。このときの建御名方神との戦いは相撲の起源とされている。」と書かれていてここではタケミカヅチは大活躍をしています。


この話の実際はこうです。孝元天皇(饒速日)が亡くなったため大夫(大臣)の一人であるタケミカヅチは、卑弥呼(ウツシコメ)ウツシコオの使いで交野にいる大彦(大国主)の元に向かいます。次期天皇をウツシコオの孫、ミマキイリヒコ(後の崇神天皇)にしたいと相談に行ったのです。タケミカヅチが向かったのは出雲ではなく、交野市の倉治です。倉治には大彦(大国主=高倉下)、弟のウマシマジ(オトクラジ)、息子の事代主がいます。神話に書かれている出雲は地名ではなく、ヤマト朝廷(邪馬台国)に逆らうものという意味です。


本来ならば孝元天皇の長男である大彦(大国主)が次期天皇なのですが、大彦(大国主)は二度も暗殺されかかって衰弱しています。弟のウマシマジと息子の事代主も次期天皇の候補です。事代主は、御保津姫の子で、ウマシマジは三炊屋媛(ミカシキ姫)の子供です。

建御名方神(タケミナカタ)は大国主(大彦)の息子とされていますが、架空の人物です。相撲の話も作り話です。つまりタケミカヅチは単なる使いです。


神武東征では、建御雷の剣が熊野で手こずっていた神武天皇を助けています。

「毒気(鉱山の鉱毒か?)によって、神武も全軍も気を失うか力が萎えきってしまったが、高倉下(たかくらじ)が献上した剣を持ち寄ると天皇は目をさまし、剣を振るうまでもなくおのずと熊野の悪神たちをことごとく切り伏せることができた。神武が事情をたずねると高倉下の夢枕に神々があらわれ、アマテラス(ウツシコメ)やタカミムスビ(高木神=ウツシコオ)が、かつて「葦原中国の平定の経験あるタケミカヅチにいまいちど降臨して手助けせよ」と命じるいきおいだったが、建御雷は「かつて使用した自分の剣をさずければ事は成る」と言い、神武のところへ運んで貢がせたのだという。その剣は布都御魂(ふつのみたま)のほか、佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ)の別名でも呼ばれている(石上神宮のご神体)。」


この剣も隕鉄剣ではないでしょうか。

この話でもタケミカヅチは剣を運んだだけのようです。つまりやっぱりパシリだったのです。


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※この話は240年前後で饒速日(65歳)で崩御 卑弥呼(ウツシコメ)42歳 大彦(大彦)31歳、ウマシマジ27歳


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2024.2.15追記


邪馬台国時代のヤマト朝廷は物部氏だらけですが、中臣氏もいたようです。

中臣氏は古くから鹿島神ことタケミカヅチを祖神として信奉しています。その理由はよく分かりませんでしたが、中臣氏がタケミカヅチを討ったため、長脛彦のように祟られるのが怖かったため、神として祭ったと思われます。武埴安彦命の乱~天児屋根の陰謀



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。




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tootake
Oct 09, 2023
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