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女神山(めがみやま) の小手姫は、、

  • tootake
  • 14 時間前
  • 読了時間: 5分

第902話


NHKのBSで日本百低山という番組があります。最近見たのは、女神山です。


女神山は、福島県伊達郡川俣町にあります。女神山の「女神」とは、崇峻天皇の妃「小手姫」のことです。

その小手姫とは、第三十二代崇峻天皇の妃だった女性です。夫が蘇我馬子によって殺され、聖徳太子が推すい古こ天皇の摂政となったとき、彼女は馬子の手を逃れて東北に逃げた息子を追って当地にやってきたといいます。小手姫は、当地で生涯を終えるが、大きな宝をもたらしました。小手姫は小手郷と呼ばれていた川俣町、月舘町に機織技術を伝えたのです。

女神山には、いまも山桑の木がみられ、そのうちの一本は地元の風習と結び付いています。この桑の芽を少しだけ摘んできて、刻んだものを蚕のエサに混ぜると、良質のマユがとれるのだといいます。


私には、伊達郡川俣町という地名だけで女神山の女神=小手姫が台代だということがわかります。川俣(かわまた)は大阪府東大阪市の地名です。〒577-0063 この河俣毘売がだということは、第496話:河俣毘売(かわまたびめ)~放出(はなてん)で書きました。


そして、伊達郡の伊達(だて)は、イタチです。大阪には立売堀(立売堀:イタチボリ)という地名があり、伊達藩との関連が示唆されています。

宮城県宮城県加美郡色麻町に伊達神社(いだてじんじゃ)があって、五十孟神と武甕槌神・経津主神(フツヌシ)を祀っています。五十孟神=武甕槌神=台与、経津主神はウツシコオですので、五十孟神と経津主神はいつもの台与とウツシコオのコンビです。宮城県で伊達といえば、伊達政宗ですが、伊達は本来は「だて」ではなく「いだて」と読むのでしょう。

イタテ=イタケルは「五十猛」と書きます。イタケルは台与です。~第736話:イタケルは台与(1)


福島県蚕業取締所の編簒に係る「福島県の蚕糸業」には、「仁徳大皇*即位十四年大和国高市郡川俣の庄司秦峰能其女小手姫を携え今の川俣(福島県伊達郡)の地方に来り気候風土の蚕業に適するを認め養蚕製糸織物の業を教う之を東国蚕業の開始となす云々」とあります。

小手姫は、養蚕の神だということです。仁徳大皇は台与です。

第582話:仁徳天皇(第16代)


秦氏(=台与)と養蚕の関係については、このブログで何度も書きました。最近では、第898話:ツキヨミの正体(2)では、「秦氏~養蚕→秦織物→税金(調:ちょう)=調(つき)→月→月読ということです。ウツシコオ・台与の一族=秦氏=邪馬台国です。」としました。女神山の南東の山麓に位置する福島県伊達市月舘町上手渡長屋には、月宮神社(つきみやじんじゃ)があり、月読命がまつられています。月読命は台与です。


なお福島県伊達郡主変には月舘という地名があり、月宮小志貴神社もあります。

祭神は、天児屋根命=ウツシコオです。~ 第349話:天児屋命はウツシコオ!!


この地にも、台与とウツシコオが滞在していたようです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)


これまで、このブログでは、山(山岳)の名前が、台与と関係していることを見てきました。女神山については、一度で書いていますが、ツキヨミとの関係については書いて書いていませんでした。


養蚕=秦氏=台与・ウツシコオ=月読(ツキヨミ)ということが分かれば、伊達郡川俣俣・月舘という地名の由来が理解できるのです。



第751話:黒姫山:黒姫は台与

第753話:妙高山と善光寺


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<蛇足の追記>

・川俣(かわまた)は大阪府東大阪市の地名で、東大阪市近辺はかつての河内湖で湿地帯だったでした。息長田別王の子が杭俣(くいまた)長日子です。杭(くい)=土木工事によって地域の開発を進めた実績を端的に表しています。抗全(クマタ)と呼ばれるところです。

杭俣長日子王)(くいまたながひこ)は河俣毘売(かわまたびめ)と同一人物です。

・伊達=立売堀(立売堀:イタチボリ)という地名があり、伊達藩ではなく、イタテと関連

するのであれば、仁徳天皇が行った堀江の掘削工事に関係りているのかもしれません。


伊達、川俣・月、養蚕、女神といったキーワードが揃うということは、偶然ではないことがお分かりいただけるでしょう。これらが台与に関連したキーワードであることは、単なる思い付きやでっち上げでないのです。


台与は女神川の河川工事のためにこの地に来て、養蚕を始めたのです。


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれている13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



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2件のコメント

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tootake
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tootake
14時間前
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