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神武東征3~高倉下

更新日:5月7日

第302話


前号の続きです。日本書紀によると、磐余彦尊は息子の手研耳命とともに熊野の荒坂津に進み丹敷戸畔を誅したが、土地の神の毒気を受け軍衆は倒れた。この時、現地の住人熊野高倉下は、霊夢を見たと称して。韴霊剣すなわち布都御魂剣(かつて武甕槌神が所有していた剣)を磐余彦尊に献上した。剣を手にすると軍衆は起き上がり、進軍を再開した。だが、山路険絶にして苦難を極めた。この時、八咫烏があらわれて軍勢を導いた。磐余彦尊は、自らが見た霊夢の通りだと語ったという。磐余彦尊たちは八咫烏に案内されて菟田下県にいたった。


<解説>

ここで神武軍はかなり苦戦しているようです。ここで高倉下(タカクラジ)と武甕槌神が登場します。このブログでは高倉下は、大彦です。大彦は孝元天皇(饒速日の子)で、武甕槌神は長脛彦の子です。大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村豊御気主命は三毛入野!


高倉下が登場したことで、この戦いは、神武(長脛彦)の孫の世代の話であることが分かります。荒坂津に進み丹敷戸畔を破り、素戔嗚が真舌媛(市寸島比売)を娶りできた子が饒速日で、饒速日の子が大彦(高倉下)ですから、菟田下県に至ったのは荒坂津の戦いから40~50年後の話です。


高倉下が現地の住人とあるのは、先代旧事本紀の「天神本紀」には、高倉下が紀伊国の熊野邑に住み、別名を「高倉下命」というとあるからです。ちなみに倉下は大阪府交野市倉治(くらじ)です。ここは饒速日が天下ったとされる地です。参照:天香語山命は大彦:邪馬台国前史~熊野と金


韴霊剣すなわち布都御魂剣は当時最先端の武器である鉄でできた剣です。この剣の登場により、戦いが一気に有利になったということです。

八咫烏も長脛彦=三毛入野=ウツシコオです。第274話:八咫烏もウツシコオ


~~~~~~~~~~~~~~~~~~


磐余彦尊は軍を発して国見丘に八十梟帥を討った。八咫烏に遣いさせ兄磯城・弟磯城を呼んだ。弟磯城のみが参上し、兄磯城は兄倉下、弟倉下とともになおも逆らったため、椎根津彦の献策により忍坂から女軍を、墨坂から男軍を送ってこれを破り、兄磯城を斬り殺した。


弟倉下とは饒速日の子のウマシマジのことです。母は長脛彦の妹の三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)です。

「兄磯城は兄倉下、弟倉下とともになおも逆らったため、、」とあるのは謎です。反乱の兆しでもあったのでしょうか。

一方で、磐余彦は諸将を集めて兄磯城をどうすべきか、と尋ねた。諸将は兄磯城が悪賢い賊であることを指摘し、「まず弟磯城に説得させ、それでも駄目なら兄倉下(えくらじ)・弟倉下(おとくらじ)兄弟に交渉させ、それでも帰順しなければ、兵をあげてのぞんでも、遅くはないでしょう」と言った。とも書いてあります。倉治(倉下)兄弟が逆らった様子はありません。


そしてこの話は、磯城・弟磯城を討つ話ではなく、兄宇迦斯(エウカシ)・弟宇迦斯(オトウカシ)を討つ話だったはずです。


日本書紀に「遂に菟田下県に達とほりいたる。因りて其の至りましし処を号なづけて菟田うたの穿邑うかちのむら穿邑、此をば于介知能務羅と云ふ。と曰ふ」とあり、下県は現菟田野うたの町大字宇賀志(うかし)付近に考定されています。上県は現榛原はいばら町大字檜牧ひのまき付近に該当します。


・弟磯城(おとしき)の別名は黒速です。黒速は”うずしお“を連想させます。弟磯城=珍彦とすると、話が見えてきます。つまり弟磯城は、兄磯城の弟なんかではなかったということです。エウカシとオトカシの話を借りて歪曲したのです。第85話:鴨王~瀬戸内海


・兄磯城破った弟磯城(おとしき、黒速)は、古代史研究者の宝賀寿男や村島秀次によると、天日方奇日方命と同一人物だそうです。天日方奇日方命は鴨王ともいわれカモ族のトップです。事代主の子であるともされています。参照:天日方奇日方命



弟磯城は磯城県主になっています。このことにより、兄宇迦斯(エウカシ)・弟宇迦斯(オトウカシ)を兄磯城・弟磯城としたのです。


・鴨王=天日方奇日方命=珍彦(うずひこ)です。神武天皇の水先案内人が宇陀市榛原で兄磯城(えしき)を挟み撃ちにより破ったのです。吉井良隆氏(前西宮神社宮司)が指摘されて通り椎根津彦命は大阪湾北側を支配する海部の首長であった思われます。つまり、村上水軍のような存在です。参照:鴨王は、内色許男命


・磐余彦尊の兄稲飯命と三毛入野命は陸でも海でも進軍が阻まれることに憤慨し、稲飯命は海に入って鋤持神となり、三毛入野命は常世郷に去ってしまった。とあり、三毛入野と稲飯命はここで死んでしまったことになっています。磐余彦尊だけが生き残って神武になったという筋立てですが、実際には三毛入野だけが生き残り、三島(邪馬台国)に移動し、長脛彦、ウツシコオになって行ったのです。参照:ウツシコオの名前についての弁明 ヒコユキからウツシコオへ



※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。




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2件のコメント

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
4月29日
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伊太祁曽神社の神紋は「太」です。 「太」一文字で「太一」この意味は、日本の最高の神という意味です。現在の伊勢神宮でも見られるそうです。


椿井大塚山古墳 (hidemaru3375.com)

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