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弟磯城は内色許男命!

更新日:2月22日

第235話


神武天皇は、東征の際に兄磯城・弟磯城に遭遇し、二人を服従させるべく八咫烏に遣いさせ兄磯城・弟磯城を呼びました。弟磯城のみが参上し、兄磯城は逆らったため、椎根津彦が奇策を用いてこれを破り、兄磯城を斬り殺したとあります。


古事記では、兄師木・弟師木ともに撃たれていますが、日本書紀では、八咫烏は、弟磯城の家に行き、彼を従わせることに成功したことになっています。さらに、恩賞を得て、弟磯城は磯城県主になっています。


ウイキペディアの事代主の項目によりますと、弟磯城(おとしき、黒速)は天日方奇日方命であると書いてあります。

事代主 - Wikipedia より引用

宝賀寿男や村島秀次は、綏靖天皇の皇后は、日本書紀では事代主神の女、古事記では師木県主の祖の河俣毘売となっていることから、神武東征以前の大和在地豪族で、磯城県主を任じられた弟磯城(おとしき、黒速)は天日方奇日方命と同一人物であり、また事代主神については、その系譜や世代関係(神武天皇の父母世代)からも実態は大物主神と同一神であると主張した。~引用ここまで


第194話では安寧天皇は 磯城県主の黒速の館で生まれ、そのときに朝日が輝いたので磯城津彦玉手看天皇(シキツ・ヒコ・タマデミ)の名が付いたと書いてあります。黒速は、ウヅヒコの別名です。黒速=鴨王=ウツシコオです。この事により、安寧天皇もウツシコオとの関連が深いことが分かります。安寧天皇は河俣毘売の実家である黒速の館で生まれたのも納得できます。と書きました。安寧天皇はウツシコオ


新選姓氏録によると磯城(シキ)縣主は、2系統あります。

1)河内国:志紀;初祖先は神八耳命(かんやいみみのみこと)

2)和泉国:志貴;大賈布(饒速日七世孫)

大和神別の「志貴連氏」は饒速日の孫・日子湯支命(ヒコユキ)の後とされています

ヒコユキは物部の祖でウツシコオであることはすでに述べています。忌部氏(彦幸:ヒコユキ)~和歌山・名草


私が、ウツシコオが三島の溝杭(水運の管理者=カモ族のトップ)とする理由はウツシコオという名前にウツ=内が入っているからです。内は内里のと指摘されるのは、上垣内憲一先生です。内里は木津川、桂川(鴨川)が淀川に合流する地点です。邪馬台国の頃には巨椋池もありました。淀遺跡もすぐそばにあります。内里は京都府八幡市で枚方市の樟葉の隣です。


「屎褌(くそばかま)」とは現在の大阪府枚方市樟葉のことである。明らかな穢名説話であり、恐らく、この北摂の地が武埴安彦命の外戚・河内青玉繁の拠点であったと思われる。

と書いてあるサイトがありました。吾田媛 | 日本史!よろパラ (yoropara.org)


そうなのです。この辺りはウツシコオの領地です。

磯城津彦玉手看天皇(シキツヒコ・タマデミ)はウツシコオである可能性が濃厚です。


なおこの兄師木・弟師木の話の登場人物には「八咫烏に遣いをさせ」とか「椎根津彦が奇策を用いてこれを破り、兄磯城を斬り殺した。」とかいう記述があります。

八咫烏も椎根津彦も同一人物つまりウツシコオ(日子湯支:ひこゆき)です。

この話は、兄猾(えうかし)・弟猾(おとかし)の話と酷似しており、完全な創作でしょう。兄磯城など最初からいなかったのです。弟磯城が敷津彦(シキツヒコ)であるということを言いたいだけの話です。


これまで述べてきたように神八耳命は三毛入野です。そして三毛入野は長脛彦です。

さらには、天日方奇日方命=建甕槌=黒速=鴨王=ウツシコオです。


    安寧天皇はウツシコオ    

    :八咫烏の活躍


※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。



安寧天皇(あんねいてんのう:磯城津彦玉手看天皇)漢風諡号である「安寧」は、記紀編纂後50~60年後(8世紀後半)に淡海三船によって撰進された名称とされます。



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4 Comments

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Feb 21
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神話などでの記述

出自は『記紀』には書かれていないが、『古語拾遺』などでは高皇産霊尊(たかみむすび)の子と記されている。

岩戸隠れの際、思兼神が考えた天照大神を岩戸から出すための策で良いかどうかを占うため、天児屋命とともに太占(ふとまに)を行った。 そして、八尺瓊勾玉や八咫鏡などを下げた天の香山の五百箇真賢木(いおつまさかき)を捧げ持ち、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせると、アメノコヤネとともにその前に鏡を差し出した。

天孫降臨の際には、瓊瓊杵尊に従って天降るよう命じられ、五伴緒の一人として随伴した。『日本書紀』の一書では、アメノコヤネと共にアマテラスを祀る神殿(伊勢神宮)の守護神になるよう命じられたとも書かれている。


紀ノ國(木の国)名草の彦狭知(ヒコサチ:日本書紀)は太玉命の孫・天富命に率いられて山から木を伐採して、神武天皇の正殿を造営したあることから太玉命も名草に出身です。太玉命の孫・天富命とある

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Feb 20
Rated 5 out of 5 stars.

妃は阿久斗比売(記)  高槻

渟名底仲媛命(紀)


母親五十鈴依媛命(紀) 河俣毘売(記)


河俣毘売

古事記によると御年神(みとしのかみ)を生んだのは香用比売(かぐよひめ)とされています。香用比売の名は、「光り輝くような美しい女性」と云う意味です。一方で神武天皇の后の五十鈴姫の母は玉櫛姫です。

このプログでは、ウマシマジと五十鈴姫が大和朝廷の国譲りに大いに関係していることから、香用比売は三炊屋媛かもしれません。長脛彦の妹の三炊屋媛の本名は櫛玉姫命です。櫛玉姫命=玉櫛姫とすればスッキリします。ウマシマジと五十鈴姫は本当の兄弟ということになります。


『古事記』では河俣毘売、『日本書紀』第1の一書では川派媛といい、師木県主(磯城県主)の祖先である家系の出身。師木県主波延(安寧天皇皇后、阿久斗比売の父)の妹。

なお、『日本書紀』本文と第2の一書ではカワマタビメは登場せず、本文では五十鈴依媛命、第2の一では春日県主大日諸の娘である糸織媛が綏靖天皇の皇后とされる。


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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Feb 20
Rated 5 out of 5 stars.

その系譜や世代関係(神武天皇の父母世代)からも実態は大物主神と同一神であると主張した

阿陀比売神社~木花開耶姫3 (hidemaru3375.com)

三島の溝杭は大日彦~邪馬台国異聞9 (hidemaru3375.com)

上垣内憲一先生によると吾田媛(あがたひめ:アタ姫)は奈良県五條市の阿田(アタ)姫で阿田の北方の葛城の銅山の支配者です。そして河内青玉縣(かわちのあおたまがけ)は大阪府柏原市の青谷の支配者です。青谷からは「青玉(アイオライト)」が産出します。

安寧天皇は河内青玉繋!? (hidemaru3375.com)

安寧天皇は 磯城県主の黒速の館で生まれたの

埴安媛

父は河内青玉繋(かふちのあおたまかけ/あおかきかけ、河内青玉)で、孝元天皇との間に武埴安彦命を生んでいる。武埴安彦命は反乱を起こすが誅殺されている。

三島の溝杭は淀川(河内湖)、鴨川、木津川の支配者です。

奈良県五條市の阿田(アタ)姫で阿田の北方の葛城の銅山の支配者です


クガミミも三島の溝杭


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