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荒坂の津での戦い

更新日:5月2日

第301話~神武東征2


神武天皇は皇子の手研耳命(たぎしみみ)とともに軍を率いて熊野の「荒坂の津」に着いたと日本書紀にあります。荒坂は五條市奈良県五條市今井町で、紀ノ川、吉野から奈良盆地に入る要衝です。日本書紀では、熊野(注:下記)の荒坂の津で神武軍は丹敷戸畔(にしきとべ)を殺したとことになっています。参照:丹敷戸畔


丹敷戸畔をニシキトベと読むのは間違いだと言われるのは上垣内憲一先生です。敷はシキと読まずに「フ」と読むべきなのです。丹敷はニフです。ニフとは丹生で丹敷戸畔はニフトベです。丹生は水銀のことです。そして丹敷戸畔は丹生都姫(ニフ津姫)に他ならないのです。丹敷戸畔こと丹生都姫はこの地にあった水銀朱の採鉱集団の長であったと考えられます。「謎の四世紀」p158~160 第223話:丹敷戸畔


丹敷戸畔はすなわち丹生都姫は、前号では卑弥呼ではないかと勢いで書いてしまいましたが

熊野の荒坂の津は奈良県の五條市です。


奈良県五條市には、阿陀比売神社があります。延喜式神名帳に記されている古社です。祭神は阿陀比売命は神阿多都比売、または木花佐久夜姫命といい、皇室の祖先の母親とされています。阿陀比売命(木花開耶比売命)とともに火火出見命(ほほでみのみこと)が祭られています。第297話:海幸彦と山幸彦 で書いたように、火照命は海幸彦(火闌降:火須勢理命:ほすせりのみこと)で、すなわち大山祇の一族です


丹生都姫は奈良県五條市原町にある阿陀比売神社で祭られている阿比良比売と同一人物だと思われます。阿比良比売は神武天皇の最初の妻の吾平津媛(あひらつひめ:古事記では阿比良比売:あひらひめ)です。阿陀比売神社~木花開耶姫3


この五條市あたりで、戦いがあったのです。丹敷戸畔(ニフトベ)=吾平津媛です。吾平津媛は木花開耶姫(このはなのさくやびめ)で、父は大山津見(大山祇)です。神武軍(素戔嗚、五瀬命、三毛入野=長脛彦)と大山祇の戦いです。


日本書紀では、熊野の荒坂の津で神武軍は丹敷戸畔(にしきとべ)を殺したとことになっています。しかし、古事記では、邇邇芸命(ニニギノミコト)から求婚を受けます。父の大山津見(大山祇)はそれを喜んで、木花之佐久夜毘売と姉の石長比売(イワナガヒメ)と共に嫁がせようとしましたが、邇邇芸命は醜い石長比売を送り返し、美しい木花之佐久夜毘売とだけ結婚したとあります。


そしてこの辺りはナカと呼ばれいる地域です。紀ノ川筋から泉佐野に向かう県道62号線の和歌山県側には、ナカの付いた地名が集中しています。北長田(ナカタ)、北中(ナカ)、中畑(ナカハタ)、最寄り駅は紀伊長田です。旧の地名は「那賀郡」です。この付近、特に粉河寺のあたりには、丹生に関わる地名、丹生都姫を祭る神社がいくつもあります。

上垣内憲一著 「謎の四世紀」p161より引用。


三毛入野=長脛彦(ウツシコオ)がこの辺りを戦いで占領したのです。なお三毛入野の兄である彦五瀬命(五瀬命)長髄彦の軍との戦いで流矢にあたって負傷、その後、雄水門(おのみなと、男之水門)で崩御、のち竈山に葬られたといいます。雄水門の比定地は和歌山県和歌山市小野町(おのまち) と大阪府泉南市男里(おのさと)です。


前号では、手研耳命(たぎしみみ)は五十猛ではないでしょうか、丹敷戸畔(にしきとべ)を殺したということは、名草比古命の一族(ウガヤフキアエズの一族)の五十猛と丹敷戸畔と政略結婚したということなのです。と書きましたが、


素戔嗚(ウガヤフキアエズ)は吾平津媛(木花開耶姫)をもらい、ウツシコオ=長脛彦が高屋阿波良姫を娶ったのです。高屋阿波良姫~高野山


丹敷戸畔=吾平津媛(木花開耶姫)はマシタ姫のではないでしょうか。第294話 吾平津媛~神武最初の妻 ではすでに木花開耶姫は、真下姫(マシタ姫:細媛命)=市寸島比売と書いています。


この五條市での戦によって、大山祇を打ち負かした素戔嗚、三毛入野=長脛彦は三島をも手に入れたのです。第257話:邪馬台国の誕生第265話:大山祇は三島(摂津)の王


伝説と違って、素戔嗚は石長姫も貰ったのでしょう。でないと石長姫が貴船神社に祭られている理由がわかりません。石長姫は鴨川水系の守り神です。マシタ姫は市寸島比売として日本中の水運の守り神になっています。ちなみに饒速日はマシタ姫の子ですからまだ生まれていません。第205話:石長比売は美人だった!~貴船神社真舌媛は、宗像三女神!


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注:熊野

熊野とは、片隅という意味で「隈:くま」という字を当てても差し支えな土地の趣である。現在、天野というがかつては「隈野=熊野」と呼ばれていた。そこには丹敷戸畔(にふとべ)を盟主とする水銀朱の採鉱集団の本拠地がかつてあった。丹生都比売神社の総本社は天野で、天野という地名は熊野が不吉であることによって、美称としての天野に変えたのであろう。上垣内憲一著 「謎の四世紀」p159

  

丹生都比売と大山祇が持つ鉱山の権利をめぐるものです。この時にうまく立ち回ったのがウズヒコ(鴨王)こと三毛入野=長脛彦(ウツシコオ)です。丹敷戸畔を降伏させたのです。


次号に続く




※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。





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