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三嶋溝抗命はタケハニヤス

更新日:2月15日

第188話


溝咋耳命 (みぞくいみみのみこと) とは、いったい何者でしょう。

私は、溝咋とは人名ではなく役職名ではないかと推測しました。溝咋は河川(山代川=淀川、木津川、賀茂川)の水運の責任者のことだと思います。


初代(孝霊朝)の溝杭は守口の大日彦、2代目(孝元朝)はウツシコオ、そして3代目(開化朝)が南方刀美神(建御名方神)です。南方刀美神(タケミナカタ)~三島の溝杭3代目


初代(孝霊朝)の溝杭は大日彦は、大山祇のことで拠点は守口(大阪府守口市大日)です。

伊予国風土記によれば、伊予国乎知郡(越智郡)御島に坐す大山積神(大山祇命に同じ)は、またの名を「和多志の大神」といい、仁徳天皇の御世に百済より渡来して津の国の御島に鎮座していたといいます。「津の国の御島」とは摂津国三島(現 高槻市三島江)を指すとされています。「和多志の大神」とは渡し、つまり淀川の渡船の神だったのです。三島の溝杭は大日彦~邪馬台国異聞9

2代目は、ウツシコオ(孝元天皇宰相)で拠点は八幡市(京都府)の内里

五十鈴媛命の祖父とされるのはこの人です。

高皇産霊尊(ウツシコオ)は大物主神(大国主:大彦)に「もし国神を娶れば、お前には謀反の心があると思ってしまう。だから、私の娘の三穂津姫(みほつひめ)をお前の妻とさせたい。とあり、三穂津姫は玉櫛姫のことですなわち五十鈴姫の母です。

3代目は建御名方神で南方刀美神と書くのが正しく、拠点は南方(大阪市淀川区)です。


建御名方神(タケミナカワ)は、タケハニヤスではないでしょうか。

タケハニヤスの乱を起こした人物です。タケハニヤスの乱最終章

賀茂県主=賀茂御祖とはタケハニヤスのことです。タケハニヤスは孝元天皇(=饒速日)のれっきとした子です。タケハニヤスは、クガミミとともに、保津川、山代が賀茂川を管理してたと思われ、その利権を狙った開化天皇(大彦?)に滅ぼされてしまったのです。


さらに推測しますと八咫烏される賀茂建角身命も建御名方神=タケハニヤスだと思います。 山代風土記逸文の加茂神社由来説話によれば、賀茂建角身命は神武天皇を先導してヤマトの葛城山に宿り、そこから次第に鴨川の上流葛城に移ったとされています。その経路を風土記で辿れば葛城山から、さらに北上して、山代川(木津川)を臨む地、山代国の岡田の賀茂神社(京都府相楽郡加茂町)に至り、さらに山代川との合流点から、葛野川(桂川)と賀茂河の合流点に至り、この川を遡って久我国の北の山基に定座したと伝えられています。久我国の北の山基とは、今の上賀茂神社の西、西賀茂の大宮の森、下賀茂神社の旧社地とされる所です。タケハニヤスの根拠地は、愛宕郡(おたぎぐん)であったと思われます。愛宕郡は乙訓(おとくに)郡の別名で、京都市北区の一部:紫野・紫竹・大宮・西賀茂・出雲路・小山・上賀茂・鷹峯・雲ケ畑を指します。賀茂川の周辺です。タケハニヤスは、この愛宕郡をみずから、国(クニ:狗奴)としていました。

関連項目:カモ族は水運業者


※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。


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