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大物主は長脛彦

更新日:2月14日

第210話~天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)


天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は三種の神器の一つです。 草薙剣(くさなぎのつるぎ)ともいい熱田神宮にあります。スサノオが出雲国でヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した時に、大蛇の体内(尾)から見つかった剣です。一方、ヤマタノオロチを殺して欠けた十拳剣(十握剣)は、大蛇之麁正(をろちのあらまさ)、もしくは天羽々斬之剣(あめのはばきりのつるぎ)として石上神宮(石上布都魂神社)に祭られています。


この八岐大蛇が長脛彦のようなのです。

天叢雲剣は崇神天皇の持ち物となりましたがこの剣が祟りを引き起こしたと当時の人は思ったのです。つまり大規模な疫病(コロナ?)の蔓延の原因はこの剣だったのです。

崇神天皇はイカガシコオに三輪山に大神神社を建てたさせ、大物主を祭らせませた。戸矢学著「ニギハヤヒと先代旧事本紀」p167によりますと、崇神朝に祟りをなした「神宝」こそは、長脛彦の御霊代である天叢雲剣であるとされています。


神武天皇東征や欠史八代等で天叢雲剣(草薙剣)がどのように扱われていたかは、記紀に書かれていません。皇居内に天照大神の神体とされる八咫鏡とともに祀られていましたが、崇神天皇の時代に、皇女トヨスキイリヒメ(豊鍬入姫命)により、八咫鏡とともに皇居の外(倭の笠縫邑)で祀られるようになりました。古語拾遺には、イシコリドメの子孫が「神鏡」と「形代の剣」(もう一つの草薙剣)を作り、天皇の護身用として宮中に残し、崇神天皇の命令を受けた豊鍬入姫命は、倭の笠縫邑に神鏡と草薙剣を祀ったとされています。


大物主は饒速日ではないかとする研究者は多いのですが、大神神社では饒速日を祭っていません。第162話楯築墳丘墓~岡山 岡山市中区四御前に大神神社(おおが神社)がありますと書きました。同じく岡山県瀬戸内市長船町東須恵にも美和神社があります。総社市八代にも神(みわ)神社があり、大物主を祭っています。吉備(岡山)を支配していたのは、長脛彦で楯築墳丘墓は長脛彦の墓ではないでしょうか。徳島県阿南市水井町には昭和30年まで稼働していた水井水銀鉱山があった場所は、かつては阿波の那賀郡(なか)と呼ばれていた地域でした。和歌山にもかつて那賀郡がありました。その地も長脛彦の支配地でした。長脛彦のナカは那賀郡のナガです。


戸矢学氏はこうも述べられておられます。p169より引用「神殺し」の本当の意味は征服。

日本書紀を子細に見ると、殺されたはずの族長と思しき人物が名を一部変えて地位を得て臣従していることに気付きだろう。微妙にタイムラグを設定しながらも記録を残しているはその子孫が存在するからだ。彼らは、もともと敵対していたのにその後帰順した大事な臣民だからだ。例えば、名草トベは殺されたことにし、その神威を吸収した新たな神を生む。

                 引用ここまで。


そして新の神として戸矢学氏は天照(アマテラス)を挙げておられます。

このプログでは名草トベは、ウツシコメで卑弥呼=アマテラスです。卑弥呼は名草トベ~和歌山市



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。  

※これまでの記事はこちらです。



素戔嗚の八岐大蛇退治



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