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長脛彦の物語

更新日:2月10日

第213話


長脛彦は三毛入野です。以下は上垣内憲一先生の「謎の四世紀」P123~127を参照にしています。

三毛入野を祭る神社がいくつもあるのは、周防(山口県)で古代の地名でいうと熊毛郡です。山口県周南市大字呼坂字勝間にある熊毛神社の祭神は、御毛入沼命(三毛入野)と玉依姫命です。山口県柳井市大字伊保庄近長にある鴨神社、山口県岩国市にある岩隈八幡宮でも御毛入沼命と玉依姫命を祭っています。周防国風土記には、三毛入野の祖先がこの熊毛郡に天下りしたという伝承が載せられており、三毛入野は周防国熊毛郡の王と称するほどの存在でした。


三毛入野は、銅などの鉱産物の関係のある人物と考えられます。なぜなら宮崎県の高千穂にも三毛入野を祭る高千穂神社があるからです。高千穂は鉱物を豊富に産する場所です。周防の国ではかつて自然銅が豊富に産出しており、これに合わせて青銅を作るのに必要な錫を求めて、三毛入野の一族は九州に渡り高千穂に来たと考えられます。


高千穂を流れる川の名前が五ヶ瀬で、神武東征の際のリーダー五瀬命(神武の兄)の名前はここから来ていると思われます。「謎の四世紀」P123~127の参照ここまで


物語を単純にするため、このブログでは、三毛入野は五瀬命と同一人物としておきます。この高千穂にいた三毛入野はここで塩筒老翁に会いが東に良い土地があると言ったことからさらに東に向かって一族を移動させます。塩筒老翁はウズヒコとも呼ばれる紀州の名草出身の彦幸(ひこさち)後のウツシコオです。この時点で三毛入野は吉備、四国も手中にいていたと思われます。徳島県阿南市水井町には昭和30年まで稼働していた水井水銀鉱山があった場所は、かつては阿波の那賀郡(なか)と呼ばれていました。和歌山にもかつて那賀郡がありました。その地も長脛彦の支配地でした。長脛彦のナカは那賀郡のナガです。


三毛入野が大阪府の高石、奈良県の宇陀に入りここで近畿地方を支配していた饒速日(大歳)と衝突します。記紀では五瀬命はここで戦死したことになっています。戦力は互角であったため饒速日と三毛入野は和睦します。三毛入野は妹の三炊屋媛(本名は櫛玉姫命おそらく玉)を差出し饒速日の后とします。御毛入沼命と共に祭られている玉依姫命は玉こと三炊屋媛です。豊受気媛神は三炊屋媛


河内(今の石切神社があるあたり)に拠点をおいた三毛入野は背が高かったことからイシキリ(アイヌ語で手足の長い人)長脛彦と呼ばれるようになります。邪馬台国前史Ⅵ~石切神社


上垣内先生によると、出雲の熊野大社の祭紳は櫛御気野命(クシミケヌ)で和歌山の熊野の家都美御子(ケツミミコ)と同じ神だと思われます。神武の兄とされる三毛入野は熊野三山の家津美御子(”ケ”ツミミコ)、出雲の熊野の櫛御気野命(クシミ”ケ”ヌ)と同じ神(=同じ人物)と思われるのです。


長脛彦は、甥のウマシマジ(妹の三炊屋媛の子)によって殺されたことになっています。その数年後の崇神朝に起こった疫病の大流行によって多くの人が死に御牧国(枚方・高槻)は廃棄されます。この災害は長脛彦の祟りと思った崇神朝によって三輪山に大神神社が建てられ長脛彦は大物主になりました。長脛彦は、三輪の神として祭られ、熊野本宮でも神として祭られていたことになります。


塩筒老翁ことウズヒコ(ひこさち)も饒速日(孝元天皇)の配下となり山代の内里に拠点を置きウツシコオとなります。


<関連項目>



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。  

※これまでの記事はこちらです。



持田大輔さんによる長脛彦


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2 comentários

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
29 de jan.
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天知迦流美豆比売の子が積葉八重事代主命なので,両者が母子と考えれば自然とつながるのである。積葉八重事代主命が出雲に移動する理由は国譲会議で決定されたためである。

 天知迦流美豆比売も高皇産霊神(大山祇命)の娘であり,両者は同一人物と考えられる。出雲国譲りにより10歳に満たない積葉八重事代主命が出雲に赴任することになり,母である三穂津姫がついて行き,しばらく生活を共にしていたと考えれば自然に説明できる。この時,他地域の経験をさせる意味も込めて味鋤高彦根命・下照姫も出雲に同行したのではないだろうか。そう考えると三人が幼少時出雲にいたことは説明できる。味鋤高彦根命・下照姫は母と離され同じ出雲でも別の地域に住んでいたために,味鋤高彦根命が泣いたという伝承が伝わったとも考えられる。


味鋤高彦根命誕生(古代史の復元) (mb1527.thick.jp)

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