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伊邪那美命~伯耆の国は、母の国

第240話


伊邪那美命(いざなみ)は、伊邪那岐神(いざなぎ)の妻で皇室の先祖とされています。

伊弉冉については、第160話淡路島と伊弉諾(いざなぎ)で述べたように淡路島と関係のある人物だったと思われます。一方、イザナミはカグツチ(迦具土)を生んだ時に、陰部を焼かれて亡くなったとされ、出雲国と伯耆(ほうき:ははき)国との境の比婆山(現在の中国地方にある島根県安来市伯太町)に葬りまつりき、と古事記には書かれています。


カグツチ(迦具土)は火の神です。つまり強い火力を必要とする鉱山の精錬に関連していることを示しています。前号吉備津彦は五十猛神! 岡山県にある吉備津彦神社はもともとは五十猛を祭っていたと思われます。その先の鳥取県日野郡日南町には楽々福神社(ささふく)があります。楽々福神社は孝霊天皇を祭っています。日南町は鳥取県の南の端で、峠を一つ越えれば岡山県(吉備)です。と書きました。日南町を根拠地とする鉱山技術者つまり孝霊天皇=素戔嗚の集団がこの鉱山の神として伯耆の西の端の比婆山を神体山としてイザナミを崇拝していたことになります。


素戔嗚の母親はイザナミです。伯耆の国は、ハハキ=母の国という意味です。古事記には素戔嗚が母神イザナミのいる根の国に行きたいと願い、イザナギの怒りを買って追放されてしまい、そこで母の故地、出雲と伯耆の堺近辺の根の国へ向う前に、、、、、と書かれています。このことによりイザナミと素戔嗚(孝霊天皇)の母と子が根の国に拠点をもってことが分かります。


「謎の四世紀」の上垣内憲一先生によりと、孝霊天皇の一族が宮山形特殊器台の交易によって大和へ入ったと考えると、倭迹々日百襲姫(やまととももそ姫)の神話が吉備から大和に入ったのと、ほぼ時を同じくして入ったということになるとのことです。p231


比婆山の南側に爾比都賣(にひついめ)神社があることから近くに水銀産地があったのでしょう。にひいつ姫は水銀の女神です。丹・朱を求めた天皇たち


                  {参考文献} 謎の四世紀 上垣内憲一 


※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。




     伊邪那美命


閲覧数:58回2件のコメント

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2 Comments

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Feb 24
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もちろんです。大阪府には伊射奈岐神社という神社があります。この神社は延喜式神名帳に記載されており、島下郡に位置しています。伊射奈岐神社は、イザナギ尊を祀っているとされています。また、もう一つの同名の神社は山田東にあり、こちらはイザナミ尊を祀っていると言われています。伊射奈岐神社は、古代から伝わる由緒正しい神社で、歴史と文化を感じることができる場所です。1 [2][2]


伊射奈岐神社(いざなぎじんじゃ)は、大阪府吹田市にある神社延喜式神名帳島下郡の条に「伊射奈岐神社」が二座あり、その一座とされる。なお、もう一座は山田東に位置しイザナミを祀る同名の神社だといわれる。


伊射奈岐神社(吹田市山田東)(いざなぎじんじゃ)は大阪府吹田市に鎮座する神社


延喜式神名帳の島下郡の条に「伊射奈岐神社」が二座あり、その一座とされる。なお、もう一座は佐井寺に位置しイザナギを祀る同名の神社だといわれる。伴信友は、元々は当地に伊射奈美神のみが祀られていたが、貞観から延喜に伊射奈美神が当社に勧請されたものと考証している。


江坂神社(素盞嗚尊神社)

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