高倉とんど焼き~大阪府寝屋川市
- tootake
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第870話
大阪府寝屋川市に高倉という地区があります。
高倉とは、記紀に登場する高倉下(タカクラジ)のことです。
高倉下の別名は、天香語山命です。天香語山命は尾張氏の祖とされています。神武紀では、タカクラジは高倉下または高倉と記されています。すなわち高倉と書いてもタカタラジと読ませています。
高倉下の別名は、天香語山命です。天香語山命は尾張氏の祖とされています。台与も尾張氏の祖と思われます。~第370話:とよ(乎止与命・台与・臺與)
寝屋川市は枚方・交野市のとなりの市で交野市には、倉治(クラジ)という地名があり、このブログでは、高倉下=台与の邸宅があった所としています。~第430話:倭(やまと)は高槻市、葛城は交野市
この寝屋川市の高倉には、「高倉とんど焼き」という伝統行事があります。
「高倉とんど焼き」は火祭りで、正月飾りを焼いて五穀豊穣・無病息災を祈る行事です。
正月飾りやしめ縄を焼いて、歳神様を空へ送り、五穀豊穣・無病息災を祈願するものです。
正月に各家庭に迎えられる歳神は、祖霊や農耕神の性格を持ち、その年の豊穣と家族の健康を司る神とされています。門松やしめ縄、鏡餅などの正月飾りは、歳神を迎えるための依り代(よりしろ)や神饌(しんせん)です。
とんど焼きは、正月飾りを焼くことで歳神を天に送り返す儀式であり、神聖な別れの行為です。
このような「とんど焼き」は日本各地でもおこなわれており、第514話:左義長:とんど焼きでは、「とんど焼き」は年神(大歳神)との関連について書きました。
歳徳神は、大歳=饒速日=台与(豊)です。
第517話:五十猛のグロは大歳=台与(豊)で書いたように、島根県大田市五十猛町大浦地区に伝承される左義長(どんど焼き)は、「五十猛のグロ」と呼ばれえいます。
海部系図によれば、天村雲命の亦の名として「天五十楯天香語山命」とあり、天香語山命が五十猛命であるといえます。五十楯(いたて)=五十猛です。
天香語山命=高倉下=五十猛です。
つまり、「とんど焼き」は、天香語山命=高倉下=五十猛=大歳=饒速日=台与(豊)に関する行事なのです。
そして、寝屋川市の高倉地区では、「ヤマタノオロチ」が高倉とんど焼きの干支とんどとして登場します。スサノオがヤマタノオロチを退治する神話は、災厄の力を鎮め、秩序をもたらす儀礼的物語です。とんど焼きでオロチ型の藁アートを焼くことは、その荒ぶる力を火で浄化し、歳神の加護へと転換する象徴的行為と解釈できます。
ヤマタノオロチの尾から出てきた「天叢雲剣(草薙剣)」は、後に稲作と結びつく神宝となります。歳神が稲の神であることを踏まえると、オロチの焼却は稲の霊力を呼び起こす儀式的再生とも言えるでしょう。
第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2で書いたように、淀川の反乱によってしばしば、被害を受けた地であり、そのために、仁徳天皇(=台与)は、堤防を築造しました。堤防は、当時の淀川分流の流路に沿って20km超にわたって築かれました。日本書紀の仁徳天皇の項には、「どうしても決壊してしまう場所が2か所あり、工事が難渋した。」それが、コワクビの断間(大阪市旭区千林)と、コロモコの断間(寝屋川市太間)です。
このことにより、寝屋川市の高倉地区では、「ヤマタノオロチ」を稲わらで作ることと関係しているのだと思います。
寝屋川市にある邪馬台国
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれている13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




香春岳の北の北九州には高倉神社がいくつもあります。
<台与シリーズ>
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https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
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