美ヶ原と刈敷(かりしき)
- tootake
- 1 日前
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第1117話
前回:善光寺に至る道:神坂峠で書いた元善光寺から、長野の善光寺を目指すして北に進んで行くと、途中、諏訪、安曇野などがあります。この辺りも台与とウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米の親子に関連する地です。
第834話:穂高・佐久・上高地:地名の由来
第992話:タケミナカタはなぜ諏訪に行ったのか?
美ヶ原も諏訪、安曇野に近い所にあります。美ヶ原(うつくしがはら)の「うつ」はウツシコオ(内色許男命)の「ウツ:内」では、、、という考えが浮かんできました。
美ヶ原は100万~80万年前、楯状火山の噴火で粘度の低い溶岩が広がって形成され高原で、地球の温暖期であった縄文前期には生活圏が高原上まで及んだと云われ、狩猟時代の美ヶ原は、生活の場所でした。
日本最大の黒曜石産地で、縄文時代に美ヶ原の山麓、大和合へ黒曜石を運び加工した跡があります。黒曜石は割ると現代の医療用メスより鋭利な断面を作ります。 現代の医療研究でも「黒曜石の刃は鋼鉄メスの最大500倍鋭い」とされています。古代人は黒曜石を様々な用途で使っていました。
縄文中期まで山国が繁栄し、糸魚川を通じて日本海から関東から東北まで縄文文化が栄え、松本周辺はその「核」でした。
弥生時代からやがて薄川水系に稲作文化が入った後も、恵まれた自然で狩猟や採取の暮らしがありました。美ヶ原は、古い歴史上にあったのです。
美ヶ原の茶臼山や武石峠、保福寺峠は東国に通ずるの交通要衝路でした。
そして今回、注目したのは、刈敷(かりしき)です。
刈敷とは山野や畔などに生える草木の茎や葉を刈ってそのまま田畑に敷きこんで地中において腐らせることで堆肥とする方法もしくはそれに使われた草木のことです。
化学肥料のなかった時代は「カリシキ」は、草や粗朶を田畑に入れて肥料としました。
耕地の少ない美ヶ原山麓ではカリシキ材料を山地に求め、美ヶ原の武石峰へは昭和30年代まで草刈リに登り、1日2往復したとの記録もあります。
未熟な状態の有機物をそのまま土中にすき込むことで、土壌中の微生物の働きによる分解を徐々に促し、時間をかけて窒素やリン、カリウムなどの農作物に不可欠な養分を土壌に供給するのです。平野部の農地だけでなく、山林と隣接した地域では古くから日常的な農作業として用いられ、日本の伝統的な農業における物質循環の基礎をなしていました。
日本各地で、稲作の推進を行っているウツ・台与親子もこのカリシキを求めて美ヶ原に来たのではないでしょうか。
美ヶ原はより古い「ウツクシ」の名が残り郷土史家は、この「ウツクシ」が単に「美しい」を意味するだけでなく、地域の信仰や風景観賞の文化と結びついて地名化した点を指摘する。
「ウツクシ」は単に「美しい」を意味すると同時に、地域の景観評価・祭祀・山岳信仰と結びついて地名化したと考えられます。
高原や山麓では季節ごとの祭礼、山の神を祀る小祠や石祠、道祖神・石仏などの設置が見られ、美ヶ原周辺でも古くからの祭祀跡や信仰に関する記録があり、景観を讃える呼称が祭礼語や信仰語と重なった可能性が指摘されています。
美ヶ原(うつくしがはら)の「うつ」はウツシコオ(内色許男命)の「ウツ:内」というも説としてはなりたちます。
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<蛇足の追記>
わが国の山地には、古くから、おそらく縄文期以来、伝統的な農耕形態として焼畑が広く営まれていました。武蔵:むさしの「さし」をはじめ、東京付近にたくさんある「さす」「さし」のつく地名はいずれも、かつての焼畑の存在を示すといわれています。
農耕史・民俗学で「さす/さし」が「焼く」「差す(火を差す)」など火や焼きに関係する語と結びつけて解釈される例があります。
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




「hidemaru3375」は、日本の古代史や邪馬台国の謎について独自の視点で考察を行っている個人
ブログ内では主に以下の内容が連載・公開されています
地名や独自の歴史解釈をもとに「邪馬台国」に関する考察を綴っています。
記事数は非常に多く、2026年3月時点で「第960話〜第1000話」が公開され、2026年7月現在では1100話を超える長期連載となっています。 [1, 3, 4]
独自の歴史・神話考察
「ウガヤフキアエズのミコト」「徐福伝説」「欠史八代」など、記紀神話や古代天皇にまつわる謎に迫る記事が多数執筆されています。
「神武東征は守口から?!」といった、大阪や周辺地域の地名・地理を絡めたユニークな検証も特徴です。 [2, 5, 6]
全国の史跡・神社巡り
ヤマトタケルの足跡を訪ねる旅 や、各地の古墳(埼玉県の稲荷山古墳など)、神社仏閣への参拝レポートが写真付きで多数掲載されています。 [3, 7]
日本の古代史や、地名の由来からアプローチする邪馬台国研究に興味がある方は、公式サイトである「地名から読み解く邪馬台国」のブログから膨大な考察記事を読むことができます。 [1, 2]
ついて、特定のテーマや特定の回(話数)など、さらに詳しく知りたい情報はありますか?
西岡被官衆 - Wikipedia
【墓誌の文化と船首王後墓誌】
<これまでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることが判明した人物>
第374話:牛鹿臣はウツシコオ! 第371話:彦狭島命~吉備児島
第372話:建日方別:彦狭嶋命 第369話:神武西征~健磐龍命
第365話:君が代(2):君はウツシコオ 第363話:彦はすべて、ウツシコオ
第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 第325話:天之日矛はウツシコオ
第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口 第327話:于道朱君の衝撃~新羅
第328話:沙至比跪(サチヒコ) 第329話:アメノヒボコはウツシコオ
第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬) 第331話:朱智神社~迦邇米雷王
第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?
第380話:猿田彦は異国人 第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰
第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛!
第336話:大屋彦~根の国は和歌山 第337話:阿多賀田須命~宗像氏
第338話:月読命(ツクヨミ) 第349話:天児屋命はウツシコオ!!
第357話:武甕槌神(タケミカヅチ)考 第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命
第318話:空海のルーツは内色許男命! 第319話:和知津美命はワタツミ!!
第320話:欠史八代はヤマト=三島 第230話:三嶋溝抗命たち(複数)
第231話:神八井耳命は三毛入野 第232話:内色許男命は武埴安彦命!
第274話:八咫烏もウツシコオ 第275話:事代主もウツシコオ?
第279話:開化天皇 第280話:建角身命もウツシコオ
第263話:中臣氏~中臣烏賊津 第256話:ウガヤフキアエズのミコト
第244話:大津神社と建南方富命 第245話:豊御気主命は三毛入野!
第246話:高御産巣日神(高木神) 第247話:今迦毛大御神と天若日子
第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子 第251話:猿田彦は塩土老翁神
第252話:迦毛大御神は崇神天皇! 第253話:キサガイヒメはウツシコオの母!
第354話:伊勢津彦はタケミナカタ =ウツシコオ 第254話:興玉命も内色許男命
第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命 第394話:天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥
第395話:天日鷲命は、、、
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