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ヤマトタケルの足跡を訪ねて(4)~酒折宮

  • tootake
  • 7 時間前
  • 読了時間: 6分

第694話 #塩海足尼 #台与 #邪馬台国


酒折宮(さかおりみや)は、山梨県甲府市酒折にあります。古事記、日本書紀には、日本武尊(ヤマトタケル)の東征の際、行宮として設けられた酒折宮に起源をもつとされる神社です。また、連歌発祥の地とされています。山梨県内の神社で記紀に記述があるのはこの酒折宮だけです。


ヤマトタケルの東征は、古事記では尾張から相模・上総を経て蝦夷に至り、帰路は相模の足柄峠から甲斐国酒折宮へ立ち寄り、信濃倉野之坂を経て尾張へ至ったとしています。日本書紀では尾張から駿河・相模を経て上総から陸奥・蝦夷に至り、帰路は日高見国から常陸を経て甲斐酒折宮を経由し、武蔵から上野碓日坂を経て信濃、尾張に至ったとしています。記紀に記されるヤマトタケルの東征経路は、古代律令制下の官道においては往路が東海道、帰路が東山道にあたっており、「倉野之坂」や「碓日坂」はいずれも令制国の国境に位置し、甲斐国は東海道と東山道の結節点に位置しています。


帰路、甲斐国(現 山梨県)酒折の地に立ち寄って営んだ行宮がこの酒折宮です。行在中に尊が塩海足尼*を召して甲斐国造に任じて火打袋を授け、「行く末はここに鎮座しよう」と宣言したため、塩海足尼がその火打ち袋を神体とする社殿を造営して創祀したと伝わっています。*塩海足尼(しおみのすくね)はウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王です。


連歌発祥の地とされるのは、下記のような記述があるからです。

滞在中のある夜、ヤマトタケルが

「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」

意味:常陸国(現 茨城県)の新治・筑波を出て、ここまでに幾晩寝ただろうか

と家臣たちに歌いかけたところ、家臣の中に答える者がおらず、身分の低い焚き火番の老人が

「日々(かが)並(なべ)て 夜には九夜(ここのよ) 日には十日を」

意味:指折り数えてみますと九泊十日かかりました

と答歌、尊がこの老人の機知に感嘆した伝えを載せ、老人を東国造に任命したと古事記に記載されています。


身分の低い焚き火番の老人が、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王で塩海足尼です。なぜ焚き火番とされているかについては、田中 孝顕氏が「日本語の真実」で詳しく説明されておられます。~火焚の翁が登場する必然性 p76

簡単に説明しますと、タミル語で数はkacc-uha 火はkat-a>kazuで、日を数えると、火を炊くとの掛詞になっているのです。カガ(日々)と数を意味する「カガ」を掛け合わせです。

火打袋も焚き火番も「火:kat-a>kazu」からの連想です。~第433話:タミル語で読み解く邪馬台国(1)


尊がこの老人の機知に感嘆した伝えを載せ、老人を東国造したというのは、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王がこの辺りを治めていたということです。


古墳時代から古代にかけての甲斐国には、考古学的には甲府盆地南端の曽根丘陵において弥生後期段階から東海地方の文化的影響を受け、4世紀*中頃から後半代には前方後円墳である大丸山古墳や甲斐銚子塚古墳が出現しています。*台与は、邪馬台国の大王ですから、3世紀の人物です。4世紀後半になって、甲府盆地東西に勢力が出現し、甲斐国・甲斐四郡の成立においては盆地西部には渡来人が集住した巨摩郡が立評され、盆地東部には国府所在地である山梨・八代郡が成立しています。いずれも畿内(=邪馬台国)の影響を受けた前方後円墳と物部氏伝承を伴う共通点を指摘され、酒折宮伝承に出自を物部氏とし、酒折宮伝承やヤマトタケルの東征の歴史的背景を遠江を拠点とした物部一族が甲斐・下総へと進出する過程を反映していると説明されています。これらの事により、台与の死後も邪馬台国(ヤマト)の支配が安定していたことが分かります。


「酒折」のは、「酒」は境界を意味するサカ(坂、界、境)で、「折:オリ」は「重なり」の意味する説もあります。平川南は過所木簡や正税帳などの記録資料から古代甲斐国の交通の拠点地で、古代甲斐は律令制下における東海道と東山道を結ぶ結節点として位置づけられています。盆地北縁地域を意味する「酒折」の地は諸道が交差する「衢(ちまた)」であっ

たようです。

第663話:卑弥呼の残像:元伊勢(10)~御杖神社では、ちまたは「道(ち)股(また)」の意味、道の分かれる場所・いわゆる辻(十字路)や町中の道、物事の境目、分かれ目などを指すします。古代伝承にある民間信仰の神、八衢比売神(やちまたひめのかみ)・八衢比古神(やちまたひこのかみ)の両神は、道俣神として古事記に登場しています。八衢比古は道案内の神である猿田彦=道祖神=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王で、まちがいありません。と書きました。


山梨県甲府市酒折辺りは、ヤマトタケル(台与)とウツシコオの足跡がはっきりと残っているのです。甲斐国造の系統は三輪氏・磯城県主*と同族で、国造系図からもヤマトタケルの東征よりも少し早い時期(垂仁朝)に塩海足尼(しおみのすくね)の父祖が甲斐国へ到来したとの説(酒折宮 - Wikipediaがありますが、塩海足尼もウツシコオです。垂仁天皇=崇神天皇ですのですべて台与の時代すなわち邪馬台国時代の出来事です。

*磯城県主はウツシコオです。


<ヤマトタケル=台与の足跡をたどる>


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>

   





 
 
 

1 Comment

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tootake
7時間前
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<これまでウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王であることが判明した人物>


第374話:牛鹿臣はウツシコオ!   第371話:彦狭島命~吉備児島

第372話:建日方別:彦狭嶋命  第369話:神武西征~健磐龍命

第365話:君が代(2):君はウツシコオ   第363話:彦はすべて、ウツシコオ

第324話:武内宿禰はウツシコオ!!  第325話:天之日矛はウツシコオ

第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口  第327話:于道朱君の衝撃~新羅

第328話:沙至比跪(サチヒコ)  第329話:アメノヒボコはウツシコオ

第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬)  第331話:朱智神社~迦邇米雷王

第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?

第380話:猿田彦は異国人     第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰

第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛! 

第336話:大屋彦~根の国は和歌山  第337話:阿多賀田須命~宗像氏

第338話:月読命(ツクヨミ)      第349話:天児屋命はウツシコオ!!

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第320話:欠史八代はヤマト=三島    第230話:三嶋溝抗命たち(複数)

第231話:神八井耳命は三毛入野    第232話:内色許男命は武埴安彦命!

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