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陶津耳命と大田田根子

  • tootake
  • 2024年2月9日
  • 読了時間: 4分

更新日:1 日前

第224話


陶津耳命(スエツミミノミコト)は事代主の別名とされています。

古事記では大物主神が三嶋湟咋(みしまのみぞくい、陶津耳命)の娘の勢夜陀多良比売(せやだたらひめ、活玉依毘売)との間に比売多多良伊須気余理比売を生んだこととされています。陶津耳命が三嶋湟咋とされているのは、スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米が一時期、淀川などの河川の管理(支配)をしていたためです。勢夜陀多良比売(玉依毘売)は玉櫛姫=三穂津です。


今回は陶津耳命の「陶」という文字に焦点を当てて見ます。


即(すなは)ち意富多々泥古命(おほたたねこのみこと)を以ちて神主(かむぬし)と為(し)て、御諸山(みもろやま)に意富美和之大神(おほみわのおほかみ)の前を拝(いつ)き祭りたまひき。又伊迦賀色許男命(いかがしこをのみこと)に仰(おほ)せて、天(あめ)の八十(やそ)びらか(=平らな土器。平たい皿様の器)を作り、天神地祇(あまつかみくにつかみ)を定め奉(まつ)りたまひき。


この八十(やそ)びらか(=平らな土器。平たい皿様の器)が「陶」だと思います。

大阪府南部に陶邑窯跡群があります。古墳時代から平安時代初頭にかけての須恵器の窯跡です。東西約15㎞、南北約9㎞の範囲に1000基以上の窯が構築され、古墳時代中期から平安時代までのおよそ500年もの間、継続的な生産がなされていました。

陶邑の名称は、崇神天皇の時、倭迹迹日百襲媛命が神懸りして受けた託宣により茅渟県の陶邑において大田田根子を探し出し、大和三輪山の神、大物主を祭る神主(三輪山の麓にある大神神社の始まりとされています。陶津耳命が三嶋湟咋(みしまのみぞくい)とされているのは、陶邑で作った陶器を河内湖・淀川などを利用して各地に輸送したからでしょう。

スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米=陶津耳命は三嶋湟咋です。

大田田根子(オオタタネコ)は、大物主が人間の娘、生玉依媛のもとに通って産ませた隠し子であったとする)とし、それまで続いていた疫病や災害を鎮めたとする伝承もあります。

彼は、父親は大物主大神で、母親は陶津耳(すえつみみ)の娘の活玉依媛(いくたまよりびめ)であると答えた。このブログでは大物主は長脛彦です。そして活玉依媛は長脛彦の妹の

三炊屋媛であるとも書きました。丹敷戸畔 (hidemaru3375.com)


どうやら陶津耳命と大田田根子は長脛彦に関係しているようです。そして長脛彦は神武天皇の兄弟とされる三毛入野であるとも書いて来ました。そし三毛入野がどうやら神八井耳、建甕槌命とも何らかの関係があると思われるのです。建甕槌命は(三輪氏の始祖・意富多々泥古命(オオタタネコ)の父とされています。


       次号に続く


関連項目:第767話:須恵器と邪馬台国


これまでの記事はこちらです。


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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



1대 천황 진무(神武, Emperor Jimmu).


 
 
 

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