第584話 #反正天皇 #墨江之中津王 #住吉仲皇子 #邪馬台国
反正天皇の諡号は多遅比瑞歯別尊(たじひのみつはわけの みこと)
多遅比(丹比:たじひ)は、大阪府松原市上田です。
反正天皇は美形だったといわれています。歯並びがとても綺麗だったので「ミツハ(水歯、瑞歯)」の名がつけられたとされています。古事記によると身長は9尺2寸半。文字通りだとすると約3メートルですが、当時としては背が高かったようです。おそらく166cm~185cmだったようです。
履中天皇元年。長兄の履中天皇が即位したばかりのころ、次兄の墨江之中津王(すみのえ・なかつ・おうじ:住吉仲皇子)が反乱を起こしまします。~第290話:陰謀を伝える歌は嘘のあかし
誰かが反乱を起こす計画をすると決まって第三者(子供が多い)が歌を詠み、反乱を未然に防ぐのですが、今回はそのようなこともなく乱は実際に起こった事件のようです。
日本書紀では、この争いにおいて安曇連浜子らに率いられた淡路野嶋の海人や倭直吾子籠(やまと の あごこ)らが墨江仲皇子に加担するなどの具体的な記述があります。
倭直は豊予水道出自とする伝承をもった海人的な豪族であり、海人的性格から隼人・安曇・倭直が団結していたのではないかとする説があります。
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この反正天皇に対する、墨江之中津王(住吉仲皇子)の反乱は、台与がヤマト(邪馬台国)の大王(天皇)に即位する際に起こしたであろうゴタゴタではないかと思うのです。
この反乱を起こした住吉仲皇子の名前は、すみのえのなかつおうじです。*住吉(すみよし)=墨江(すみのえ)は邪馬台国時代は軍港でした。
仲哀天皇は「たらしなかつひこのすめらみこと」=河派仲彦(かわまた・なかつひこ)=河俣毘売(綏靖天皇妃)=五十鈴姫(綏靖天皇妃)=台与というわけです。と、第580話:仲哀天皇(第14代)とトヨ(豊)で書きました。
第572話:孝霊天皇(第7代)は帥升??では次のように書いています。
ウツシコオ(内色許男命)が孝霊天皇の政権を転覆させ、自分の子を孝元天皇として即位させたとする説を提唱されているのは、「上代日本正史」の著者 原田常治氏です。
ウツシコオ(内色許男命)は、クーデターを起こして王家(唐子・鍵遺跡の支配者)を乗ったのです。~孝霊天皇クーデター事件
そしてその本来の王(唐子・鍵遺跡の支配者)が、後漢の安帝の永初元年(西暦107年)に朝貢した倭国王帥升の子孫ではないでしょうか。*帥升(すいしょう?)は、弥生時代中期・後期の倭国の王と推測されています。西暦107年に後漢に朝貢した記録があります。日本史上、外国史書に初めて名を残した日本人、そして日本史上最古の歴史上人物です。
この争いにおいて墨江仲皇子に加担したとされる安曇連浜子らに率いられた淡路野嶋の海人や倭直吾子籠(やまと の あごこ)は安曇族(熊野水軍)です。ウツシコオ熊野水軍の出身です。~ヒコユキからウツシコオへ ウツシコオの名前についての弁明 忌部氏(彦幸)~和歌山・名草
つまりこの場合、反正天皇が帥升の子孫でそれに対して乱を起こしたのがスサノオ=ウツシコオ(内色許男命)・台与という筋書きです。
黛 弘道(まゆずみ ひろみち:学習院大学名誉教授)氏は、阿曇連浜子が住吉仲皇子と組んだ背景には、「住吉」と「阿曇」がいずれも難波(摂津)の地名で、2名が地縁上、親しい間柄にあったことを示しており、上記に述べたように、阿曇氏が拠点を難波に移して、中央政界に接触し、海人の宰領としての地位を獲得し、天皇の贄(にえ)の貢上を基盤として勢力伸張をはかったことを現していると述べておられます。淡路島の海人集団との繋がりもみられ住吉仲皇子の伝承でも浜子に率いられて、「淡路の野嶋の海人」が暗躍しています。
私が台与とする倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)も淡路島と関係があります。
~第161話:倭迹迹日百襲姫命は淡路島出身 第405話:倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??としています。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
反正天皇は60歳で崩御し、お墓は大阪府堺市堺区「田出井山古墳」でこれと仁徳天皇陵(大仙古墳)と履中天皇綾(上石津ミサンザイ古墳)の三つを合わせて「百舌鳥耳原三陵(もずのみみはらさんりょう)」というよ。

<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
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衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語