第579話 #印南別嬢 #稲日大郎姫 #台与(豊) #邪馬台国
ヤマトタケル(日本武尊)のお母さんとされる印南別嬢(いなみのわきいらつめ)、日本書紀では稲日大郎姫(いなひのおおいらつめ)について考えてみます。
印南別嬢は景行天皇の皇后です。播磨国風土記の賀古郡(現在の加古川)・印南郡条に登場し、播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)、針間之伊那毘能大郎女、伊那毘能大郎女とも表記されます。
播磨風土記によれば、印南別嬢の父は丸部臣(わにべのおみ)の祖・比古汝茅(ひこなむち、彦汝命)、母は吉備比売(きびひめ)です。この比古汝茅(ひこなむち)はヒコサチ(ウツシコオ)でしょう。なぜならこの記事を書く前から印南別嬢は台与と決めてかかっているからです(*注:下記)。このブログでは、記紀の登場人物をはスサノオ=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与に当てはめる作業をしているのです。
景行天皇は印南別嬢を妻問いに播磨へと出向きます。別嬢は身を隠したが、天皇に探し当てられ、2人は城宮(加古川町)で結ばれたとされています。このときの仲人が針間鴨国造
(はりまのかものくにのみやつこ)です。針間鴨国造のまたの名は(息長)伊志治です。Wikipediaによると針間鴨国造=伊志治は、伴造氏族ともされ、山部連であり、山部連小楯*がとも関連があるようです。~針間鴨国造 - Wikipedia
*山部連小楯とは、第447話:小楯姫は台与:小楯は枚方で書いたように台与(豊)です。
第468話:石の宝殿と高砂では、印南別王(いんなみわけのみこ)について書きました。
播磨国風土記では、神功皇后は夫の仲哀天皇と一緒に熊襲を征伐するために筑紫へ向かって難波津を船出したところ、すぐに海が荒れ、高砂(兵庫県)に船を入れたので入り波から「いんなみ;印南」になったとされています。三韓を征伐した後、神功皇后は帰って来る時も印南の浦に立ち寄って、ここに夫の仲哀天皇の墓を建てようと思い立ち、石作連大来を連れてきたという逸話もあります。高砂市はかつての印南郡です。神功皇后は、印南別王(いんなみわけのみこ)とも呼ばれています。(日本書紀)
兵庫県加西市北条町北条には、針間鴨国造=伊志治ゆかりの住吉酒見神社があります。
針間鴨国造の支配領域は当時針間鴨国と呼ばれた地域、後の律令国の播磨国賀茂郡、多可郡、現在の兵庫県北播磨地域(小野市・加西市・加東市・西脇市・多可郡多可町と中播磨の最北端の東部(神崎郡神河町の北東部)に相当します。
石の宝殿のある高砂市、聖徳太子(=台与)ゆかりの太子町もこの近隣です。~第534話:斑鳩寺・稗田神社~兵庫県太子町
印南という地名は和歌山県(日高郡)にもあります。和歌山(紀ノ國)はウツシコオ(内色許男命)=ヒコサチ(彦幸:ヒコユキ)の出身地です。
播磨国風土記には、こんな記述があります。
「太田と称するわけは、昔、呉の勝(スグリ)が韓の国から渡ってきて、はじめ紀伊の国(和歌山)の名草の郡の太田の村に着いた、その後、分かれて摂津の国の三島の賀美(高槻市)の太田の村に移ってきて、それが揖保(いぼ)の太田の村に移住して来た。これは元居た紀伊の国の太田をとって里の名とした。」
*太田は兵庫県揖保郡で揖保は兵庫県の太子町です。さきほど比古汝茅(ひこなむち)は思い込みでヒコサチとしましたが、ヒコサチの出身地は紀伊の国の名草です。◎ヒコサチ:忌部氏(彦幸)~和歌山・名草
ヤマトタケル(日本武尊)のお母さんとされる印南別嬢もヤマトタケルも台与です。~ヤマトタケルは台与
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今日は成務天皇について書くつもりでしたが、成務天皇の事績としては、日本で初めて行政区画を定めたとされており、諸国に国造と稲城を置き山河で国境を定めたとされてるくらいです。諡号の稚足彦天皇(わかたらしひこのすめらみこと)の、稚は若、足彦(たらし)であることから、台与であることが窺われます。
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??としています。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

虚空から現われた女神は菊理媛神です。菊理媛神は天照大神(アマテラス)とされています。参照:第
八幡神はヒルメ
宇佐神宮・北辰の神・豊日別宮
八幡神 - Wikipedia
神功(摂政)3年1月皇太子に立てられる。3歳[注釈 3]13年2月武内宿禰と角鹿(敦賀)の笥飯大神へ参拝 元年1月即位
父帝が崩御してちょうど十月十日後に筑紫で誕生した皇子は誉田別尊(ほむたわけのみこと)と名
皇居不明(『日本書紀』)
軽島豊明宮(『古事記』)
難波大隅宮(行宮)
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語