徳道上人は台与!
- tootake
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第1159話
徳道は、斉明天皇2年(656年)に播磨国揖保郡矢田部(兵庫県揖保郡太子町)で誕生したといいます。俗姓は辛矢田部(からやたべ)米麻呂で、有力豪族であったとされています。
徳道は西国に三十三か所の観音霊場を設けた人物とされています。
幼くして両親を亡くした徳道は、大和国長谷寺の道明大徳の弟子となって約十年間の修行を行い智道兼備の名僧となったといいますが、東大寺の良弁の弟子となって出家、受戒して沙弥(僧)になったという説もあります。良弁については、前回:良弁は台与なのか?で書きました。
徳道にもとってつけたような伝説があります。
徳道は、養老2年(718年)春に徳道は急な病にかかって仮死状態になり、冥土に行くと閻魔大王に会った。そこで徳道は閻魔大王から「生前の悪い行いによって地獄へ送られるものが多いゆえ、観音の霊場へ参ることにより功徳が得られるよう、人々に観音菩薩の慈悲の心を説け」と命じられた。徳道は閻魔大王から起請文と極楽往生の通行証となる宝印を授かって現世に戻されるとその証拠でもって人々に観音信仰、及びその霊場へ参ることを勧めたという。徳道は西国に三十三か所の観音霊場を設けたというが、しかし、人々は徳道を信用せず、当時はまだ観音巡礼は世に浸透しなかった。
そこで徳道は観音巡礼の機が熟するのを待つため、宝印を播磨国中山寺の石の櫃(からと)に納めることとした。
その後、寛和の変で退位した花山天皇が仏門に入って法皇となると、徳道が納めた宝印の話を聞き永延2年(988年)にこれを探し出して石の櫃から取り出し、後に西国三十三所観音霊場を再興させたとされています。
長谷寺の寺伝:長谷寺縁起文によれば徳道は、師匠の道明が朱鳥元年(686年)に創建した長谷寺(現在、本長谷寺がある場所)に、神亀4年(727年)に聖武天皇の勅命により東の丘(現在、本堂がある場所)の地に近江国高島郡から流れ出でた霊木を用いて新たな長谷寺の本尊として十一面観音像を作成し、祀ったといいます。この後、徳道は鎌倉*の長谷寺をはじめ諸国に四十九ヶ所の寺院を建立したといいます。
*鎌倉~良弁は、相武国造後裔の漆部氏の出身で鎌倉生まれと言われています。
天平7年(735年)に長谷寺の麓に草庵(長谷寺塔頭法起院)を建立して住し、晩年に草庵の松に登ると法起菩薩と化して去っていったといわれ、法起院の名称はこの話からきています。
徳道は、台与をモデルに創作された架空の人物だと思います。
徳道(とくどう)上人については、史実として実在が確認できる一次史料(同時代に作成された公的な歴史書や記録など)が乏しいため、歴史学的には実在性が疑われている(あるいは伝説上の人物とされる)側面が強いです。
実在性に疑問が持たれる主な理由
史料的根拠の乏しさ
続日本紀などの奈良時代の公的な正史には徳道の名が登場しません。名前が見られるのは主に後世に作成された『長谷寺縁起文』などの寺伝や社寺の伝承に限られています。
伝承の説話的色彩
病で仮死状態になった際に閻魔大王から宝印を授かったという話(西国三十三所の草創伝承)や、晩年に松の木へ登って法起菩薩へと化身・昇天したという説話など、後世の信仰的背景から創出されたとみられる伝説的要素が多く含まれています。
長谷寺の開山や観音巡礼の開祖として古くから信仰を集めてきた重要な人物ではありますが、史実に基づく人物というよりは、長谷寺の建立や観音信仰の起源を説明するために後世に形作られた「伝説的な聖」とする見方が学術的には一般的です。
徳道は、兵庫県揖保郡太子町で誕生したとされています。揖保郡太子町は台与と関係の深い地であることは、このブログで書いてきました。
第534話:斑鳩寺・稗田神社~兵庫県太子町 第535話:佐比の岡~兵庫県太子町
第536話: 塞ノ神と佐比の岡とおくどさん 第537話:神八耳命は台与(豊)
第538話:傍示石~聖徳太子の投げ石
俗姓は辛矢田部(からやたべ)は、第1065話:小野氏を考える(3):矢田寺
の矢田寺と通じます。
第1063話:小野氏を考える(1):小野篁で書いた小野 篁(おのの たかむら)は閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説があります。
小野 篁は台与の父親のウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米です。~第1068話:小野氏を考える(6):小野篁は、、、
徳道は西国に三十三か所の観音霊場を設けた人物とされています。
この三十三か所の33という意味は、観音経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五)には「観音菩薩は33の姿に変身して、人々を心の悩みや苦しみから救う」という教えがあるからで、その数から33の札所寺院が定められています。
西国三十三所には、聖観音、十一面観音、不空羂索観音、千手観音、如意輪観音、馬頭観音、准胝観音の七種類の観音菩薩がおられます。
徳道は観音巡礼の機が熟するのを待つため、播磨国中山寺の石の櫃(からと)に納めた宝印
とは、台与の行った河川改修、稲作の促進、仏教の普及のことを書い文書なのではないででしょうか。
徳道の容貌は気品に満ち、眼は真澄鏡(ますみかがみ)のように美しく清らかで、髪の毛は梳(くしけず)れば滴(したた)るように黒く艶やかに光り、深くたたえられた優雅さと聡明さに里人達は目を見張ったといいます。
台与も絶世の美人であったようです。~第398話:衣通姫(そとおりひめ)
第1020話:第1020話:雅楽と多氏:蘇利古 第1087話:第1087話:成相寺(2):梵天と小野小町
これまでに書いた 西国三十三所の記事
(1)青岸渡寺 →第543話:熊野の神々は、、、
(2)金剛宝寺(紀三井寺)→第590話:彦狭知(ヒコサチ)の物語2
(3)粉河寺 →第768話:長髄彦と粉河寺~那賀郡
(4)施福寺→第850話:hidemaru3375.com/post/槇尾山-施福寺
(5)葛井寺→ 第794話:葛井寺と王辰爾
(6)南法華寺(壺阪寺) → 第796話:壺阪寺と台与
(7)岡寺(龍蓋寺)→ 第795話:岡寺と台与(豊)
(8)長谷寺 → 第666話:元伊勢(13)~長谷寺・與喜天満宮
(9)興福寺 南円堂 → 第793話:空海(6):虚空菩薩
(10)三室戸寺 →第723話:三室戸寺~宇治(莵道)
(11)醍醐寺 上醍醐准胝堂 →第855話:醍醐寺と白髪の老人
(12)正法寺→第858話:岩間寺と狗奴国:塔の峰
(13)石山寺 →第857話:石山寺:石(岩)と金
(14)園城寺(三井寺 観音堂)→第860話 :園城寺(三井寺)
(15)今熊野観音寺→第861話:今熊野観音寺:熊野権現の出現伝説
(16)清水寺→清水寺と地主神社
(17)六波羅蜜寺:六波羅蜜寺と銭洗い弁財天
(18)六角堂→第519話:六角堂と平安京(頂法寺)
(19)革堂(行願寺)→第856話:行願寺と狩人
(20)善峯寺 →第859話:善峯寺と鷲尾寺
(21)穴太寺→第824話:穴太寺と穴太衆=土蜘蛛
(22)総持寺 → 第823話:総持寺幻想~大阪府茨木市
(23)勝尾寺→勝尾寺と三所権現
(24)中山寺 →第706話:中山寺・清荒神・売布神社~宝塚市
(25)播州清水寺 →播州清水寺:法道仙人
(26)一乗寺:法華山一乗寺と法道仙人
(27)圓教寺 →第843話:弁慶 大物(だいもつ)・書写山
(28)成相寺 →第867話:成相寺:文武天皇は台与
(29)松尾寺:第868話:松尾寺と彌伽冝神社・阿良須神社
(30)宝厳寺→第705話:竹生島神社・宝厳寺 ~琵琶湖
(31)長命寺→ 第709話:hidemaru3375.com/post/長命寺:武内宿祢と聖徳太子
(32)観音正寺:観音正寺と人魚伝説
(33)華厳寺→第725話:谷汲山(たにぐみさん):大口大領
番外 元慶寺(山科)→第720話:毘沙門堂~京都市山科
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
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※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
太子町矢田部の西端に、西国三十三ヵ所霊場巡礼の開祖である徳道上人のお堂があります。
「峯相記」にも播磨国揖保郡矢田部村の人であると記されています。この地に生まれた上人が使ったとされる産湯の井戸が今も矢田部に残されています。




<台与シリーズ>
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https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
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