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今熊野観音寺:熊野権現の出現伝説

  • tootake
  • 4 日前
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更新日:3 日前

第861話


今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)は、京都市東山区泉涌寺山内町にあります。山号は新那智山。「今熊野」の通称で知られる西国三十三所第15番札所です。

「今熊野」の熊野は、紀ノ國(紀州:和歌山県)のことです。

古くから紀州熊野の地は、観音の補陀落浄土としての信仰の中心であり、歴代の上皇・法皇はたびたび熊野御幸を重ねられ、特に後白河上皇などは御幸されること二十七度に及びました。しかし、都より遠く隔たった熊野の地への御幸は容易ではなく、また後白河上皇のころには世情も不安定であり御幸を断念せざるを得なかったため、古くから熊野権現出現の伝説地でもある今熊野の地を紀州熊野の観音霊場になぞらえて、社殿を山麓に造営されました。


後白河上古は、今熊野と呼ばれていた当地一帯に目を付け、永暦元年(1160年に当地に新たに熊野権現*を勧請し、「新那智山」の山号を授かりました。那智山は、第一番札所の青岸渡寺があるところです。台与の生誕の地である可能性もあります。


つまり今熊野という地名は、今熊野観音寺が建てられるかなり以前からあったようです。今熊野という地名は、熊野権現の出現の伝説によって名付けられたものです。熊野権現の出現の伝説とは、次のようなものです。


弘法大師(空海)が唐の国から帰国され、東寺において真言密教の秘法を修法されていた時、東山の山中に光明がさし瑞雲棚引いているのをご覧になられました。

不思議に思われてその方へ慕い行かれると、山中に白髪の一老翁が姿を現わされ「この山に一寸八分の観世音がましますが衆生済度のためにこの地に来現されたのである。ここに一宇を構えて観世音をまつり、末世の衆生を利益し救済されよ。」と語りかけられ、またその時に一寸八分の十一面観世音菩薩像と一夥の宝印を大師に与えられました。老翁が立ち去ろうとされたので何びとかをたずねると「自分は熊野の権現で永くこの地の守護神になるであろう。」と告げられて姿を消されました。空海は自ら一尺八寸の十一面観音菩薩像を刻み、授かった一寸八分の像をその体内仏として中に納め、一宇を建てて奉安しました。これが今熊野観音寺の始まりであるとされています。


この白髪の老人がスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)であることは、第845話:hidemaru3375.com/post/新羅は白髭-猿田彦で書きました。醍醐寺でも白髪の老人が登場しています。~第855話:醍醐寺と白髪の老人

*ここでは、熊野権現は白髪の老人とも取れますが、権現は台与です。~第720話:中臣印達神社:権現は台与


つまり、今熊野という地名には、台与とウツシコオが関与しているのです。今熊野観音寺の近くにある新熊野神社(いまくまのじんじゃ)の祭神は、熊野牟須美命 伊邪那美命(イアザナミ)です。前回:園城寺(三井寺)でも、園城寺(三井寺)の境内にある三尾神社(みおじんじゃ)に伊弉諾尊が降臨しています。伊弉諾尊(イザナギ)はウツシコオで、伊邪那美命(イザナミ)は台与と書きました。


玉籤集では、熊野本宮大社で菊理媛神(=台与)が伊弉冉尊(イザナミ)として祀られていると記述されています。第543話:熊野の神々は、、、では、「夫須美=ふすみはクスヒ・クスミ・ムスヒ(産霊)で高御産巣日神(タカミムスヒ)・神皇産霊神(カミムスヒ)のことでいずれもスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)のことです。」と書きましたが、高御産巣日神はイザナギで、神皇産霊神はイザナミで台与です。


後白河上皇は持病である頭痛を当山の観音菩薩によって治してもらったそうで、このことから、本尊の十一面観世音菩薩は頭痛封じの観音様としても尊崇されています。


これまでに書いた 西国三十三所の寺院の記事

(1)青岸渡寺 →第543話:熊野の神々は、、、 

(2)金剛宝寺(紀三井寺)→第590話:彦狭知(ヒコサチ)の物語2 

(3)粉河寺 →第768話:長髄彦と粉河寺~那賀郡

(4)施福寺→第850話:hidemaru3375.com/post/槇尾山-施福寺 

(5)葛井寺→ 第794話:葛井寺と王辰爾  (6)南法華寺(壺阪寺) → 第796話:壺阪寺と台与

(7)岡寺(龍蓋寺)→ 第795話:岡寺と台与(豊) 

(8)長谷寺 → 第666話:元伊勢(13)~長谷寺・與喜天満宮 

(9)興福寺 南円堂 → 第793話:空海(6):虚空菩薩 (10)三室戸寺 →第723話:三室戸寺~宇治(莵道)(11)醍醐寺 上醍醐准胝堂 →第855話:醍醐寺と白髪の老人(12)正法寺→岩間寺と狗奴国:塔の峰

(13)石山寺 →第857話:石山寺:石(岩)と金

(14)園城寺(三井寺 観音堂)→第860話園城寺(三井寺)

(15)今熊野観音寺:今回 (16)清水寺 (17)六波羅蜜寺

(18)六角堂→第519話:六角堂と平安京(頂法寺)

(19)革堂(行願寺)→第856話:行願寺と狩人 (20)善峯寺 →第859話:善峯寺と鷲尾寺

(21)穴太寺→第824話:穴太寺と穴太衆=土蜘蛛  (22)総持寺 →  第823話:総持寺幻想~大阪府茨木市

(23)勝尾寺 (24)中山寺 →第706話:中山寺・清荒神・売布神社~宝塚市(25)

(播州)清水寺 (26)一乗寺 (27)圓教寺 →第843話:弁慶 大物(だいもつ)・書写山

(28)成相寺 (29)松尾寺 (30)宝厳寺→第705話:竹生島神社・宝厳寺 ~琵琶湖 

(31)長命寺→ 第709話:hidemaru3375.com/post/長命寺:武内宿祢と聖徳太子 (32)観音正寺

(33)華厳寺→第725話:谷汲山(たにぐみさん):大口大領

 番外 元慶寺(山科)→第720話:毘沙門堂~京都市山科


       これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




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<台与シリーズ>

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