top of page

六波羅蜜寺と銭洗い弁財天

  • tootake
  • 11 時間前
  • 読了時間: 7分

更新日:13 分前

第864話


六波羅蜜寺は、京都市東山区轆轤町(ろくろ=どくろ=髑髏)*にあります。西国三十三番札所第17番札所です。


創建年は不明ですが、平安時代の歴史書である扶桑略記によれば、踊り念仏で知られる空也が平安時代中期の天暦5年(951年)に造立した十一面観音を本尊とする道場に由来し、当初は西光寺と称していました。空也は疫病の蔓延する当時の京都で、この観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったといいます。

空也は、ひたすら「南無阿弥陀仏」と口で称える称名念仏(口称念仏)を初めて実践したとされ、日本における浄土教念仏信仰の先駆者とされています。


六波羅蜜寺は、有名な空也上人立像のある寺ですが、この六波羅蜜寺にも創建伝説があります。


上人が鞍馬山に閑居後、常々心の友としてその鳴声を愛した鹿を、定盛なる猟師が射殺したと知り、大変悲しんでその皮と角を請い受け、皮を衣とし、角を杖頭につけて生涯我が身から離さなかったという。定盛も自らの殺生を悔いて上人の弟子となり、瓢をたたき、法曲を唱し、寒い夜もいとわず京中を巡行して衆生の能化につとめた。定盛は上人の遺風を伝えて茶筌を作り、これを世に広め、子孫は有髪の姿に黒衣をまとって踊り、念仏しながら瓢をたたいて市中を徘徊した。これが今六斎念仏として伝わっている。当山の空也踊躍念仏はさらにその源流です。


つまりこの六波羅蜜寺でも、このブログではお馴染みとなった殺生の罪を説かれて観音に帰依という狩猟者改心のモチーフが登場するのです。

~前回:清水寺と地主神社 第856話:行願寺と狩人


六波羅蜜寺の境内に「銭洗い弁財天」があります。

第705話:竹生島神社・宝厳寺 ~琵琶湖 では、市杵島姫命は弁才天として祀られています。弁才天はアメノウズメ=台与です。

弁財天(サラスヴァティ)とアメノウズメ(天鈿女命)は、芸能や知恵に関わる神として共通点があります。弁財天はインドの水の女神であり、音楽や学問の守護神として知られ、日本では財運や芸能の神としても信仰されています。一方、アメノウズメは日本神話に登場する芸能の女神で、天岩戸神話で踊りを披露し、神々を笑わせて世界に光を取り戻したことで有名です。この二柱の神は、芸能や知恵、表現の力を象徴する点で共通し、日本では弁財天がアメノウズメと習合されることもあります。特に江ノ島の弁財天は「裸弁財天」として知られ、アメノウズメの奔放な踊りと重ねられることがあるようです。


そして弁才天との神仏習合の中で造作され案出された神が宇賀神です。宇賀神は、第723話:三室戸寺~宇治(莵道)で登場しました。


この弁財天は、とってつけたものでなく、正月の三日間は、空也上人が悪疫退散のために献じたお茶に因んだ皇服茶や弁財天初稲穂が授与される習わしがあり、六波羅蜜寺と弁財天は深く関係しているのです。


16世紀の辞典:塵添壒嚢鈔の宇賀神事には、宇賀神は伊弊冊尊(イザナミ)から生まれた稲作をはじめ五穀や樹木の成育を司る保食神(ウケモチノカミ)*と音通であるため福神となったとあり、8世紀の丹後国風土記の豊受姫の羽衣伝説と同様の、「水浴びをしていた天女の一人が老夫婦に衣を隠され天に帰れなくなり、万病に効く酒を造って老夫婦に財をもたらしたが、翁に追い出され、辿り着いた丹後の奈具村で宇賀女神として祀られた」という伝承が紹介され、宇賀能売命が富をもたらしたことから福徳神とみなされ、さらに蛇に変体すると記されています。


保食神(ウケモチノカミ)は台与です。

*羽衣伝説は、私が邪馬台国とす大阪府枚方市・交野市が発祥の伝説です。

~第551話:羽衣伝説


六波羅蜜寺の六波羅蜜とは下記の6つの戒めです。

1)布施~見返りを求めない応分の施しをさせていただく事をいいます。貪欲の気持ちを抑えて、完全な恵みを施すことです。布施行は物質だけではありません。

2)持戒~高度な常識を持ち、瞬時瞬時に自らを戒める事が肝要です。

3)忍辱~如何なる辱めを受けても、堪え忍ぶことが出来れば、自らが他の存在に生かされていることがわかり、全ての人の心を我が心とする仏様の慈悲に通じることとなります。

4)精進~不断の努力をいいます。我々人の生命は限りがあります。ひとときも無駄にすることなく日々誠心誠意尽くすことです。

5)禅定~冷静に第三者の立場で自分自身を見つめることをいいます。

6)智慧~我々は本来仏様の智慧を頂戴してこの世に生をうけております。しかし、貪りや怒り愚痴によってその大切な智慧を曇らせてしまいがちです。

          ~六波羅蜜とは - 補陀洛山 六波羅蜜寺


========================================

<追記>

京都市東山区轆轤町は、本来は「髑髏(どくろ)町」だったのが、江戸時代の寛永年間にて改名されています。髑髏(どくろ)とは、もちろん、あのガイコツのドクロのことで、この地は、平安京の京都三大葬送地のひとつの「鳥辺野」の入口で、亡骸が運ばれてくる場所だったのです。当時、京都では庶民の亡骸は野ざらしにされ、自然に朽ちる風葬が主流だったといわれています。


これまでに書いた 西国三十三所の記事

(1)青岸渡寺 →第543話:熊野の神々は、、、 

(2)金剛宝寺(紀三井寺)→第590話:彦狭知(ヒコサチ)の物語2 

(3)粉河寺 →第768話:長髄彦と粉河寺~那賀郡

(4)施福寺→第850話:hidemaru3375.com/post/槇尾山-施福寺 

(5)葛井寺→ 第794話:葛井寺と王辰爾  (6)南法華寺(壺阪寺) → 第796話:壺阪寺と台与

(7)岡寺(龍蓋寺)→ 第795話:岡寺と台与(豊) 

(8)長谷寺 → 第666話:元伊勢(13)~長谷寺・與喜天満宮 

(9)興福寺 南円堂 → 第793話:空海(6):虚空菩薩 (10)三室戸寺 →第723話:三室戸寺~宇治(莵道)(11)醍醐寺 上醍醐准胝堂 →第855話:醍醐寺と白髪の老人(12)正法寺→岩間寺と狗奴国:塔の峰

(13)石山寺 →第857話:石山寺:石(岩)と金

(14)園城寺(三井寺 観音堂)→第860話 :園城寺(三井寺)

(15)今熊野観音寺→第861話:今熊野観音寺:熊野権現の出現伝説 

(16)清水寺→清水寺と地主神社 (17)六波羅蜜寺:今回

(18)六角堂→第519話:六角堂と平安京(頂法寺)

(19)革堂(行願寺)→第856話:行願寺と狩人 (20)善峯寺 →第859話:善峯寺と鷲尾寺

(21)穴太寺→第824話:穴太寺と穴太衆=土蜘蛛  (22)総持寺 →  第823話:総持寺幻想~大阪府茨木市

(23)勝尾寺→勝尾寺と三所権現 (24)中山寺 →第706話:中山寺・清荒神・売布神社~宝塚市

(25)播州清水寺 (26)一乗寺 (27)圓教寺 →第843話:弁慶 大物(だいもつ)・書写山

(28)成相寺 (29)松尾寺 (30)宝厳寺→第705話:竹生島神社・宝厳寺 ~琵琶湖 

(31)長命寺→ 第709話:hidemaru3375.com/post/長命寺:武内宿祢と聖徳太子 (32)観音正寺

(33)華厳寺→第725話:谷汲山(たにぐみさん):大口大領

 番外 元慶寺(山科)→第720話:毘沙門堂~京都市山科


       これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



弁財天堂は、七福神めぐり発祥という『都七福神』の弁財天を祀っています。

ree



 
 
 

4件のコメント

5つ星のうち0と評価されています。
まだ評価がありません

評価を追加
tootake
10時間前
5つ星のうち5と評価されています。
いいね!

tootake
10時間前
5つ星のうち5と評価されています。
いいね!

tootake
11時間前
5つ星のうち5と評価されています。
いいね!

tootake
11時間前
5つ星のうち5と評価されています。

<台与シリーズ>

hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)

https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)

https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与

https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇

https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??

https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山

hidemaru3375.com/post/台与と秦氏  敏達天皇は台与(豊) 

衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!

孝昭天皇は台与:日原は目原  飯豊王女は台与(トヨ)なのか?

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ    大宜都比売(おおげつひめ)は台与 

倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??  神八耳命は台与(豊)

饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作  台与は饒速日②~交野市倉治

小楯姫は台与:小楯は枚方   四道将軍:日子坐王は台与!

少彦名大神(スクナヒコ)は台与!  大彦は台与!??

ウマシマジは台与!    阿蘇都媛は台与

沼河比売は小楯姫=台与  タケミカヅチは台与!!

ヤマトタケルは台与  瓊瓊杵尊:ニニギは台与

継体天皇はトヨ(台与)??!  継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社

継体天皇は台与3~田井(寝屋川市)  英彦山と台与

山部赤人は台与!  八幡神は台与!!

とよ(乎止与命・台与・臺與)  台与の物語

いいね!
bottom of page