良弁は台与なのか?
- tootake
- 47 分前
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第1158話
良弁(良辨:ろうべん)は、行基とともに奈良の大仏を創った人物とされています。
誰しもが実在の人物と思っています。しかし、良弁には様々な伝説があり、とても実在の人物とは思えないのです。
第1155話:二月堂の大観音と小観音では、二月堂と台与の関係について書きました。
前回:蘇我(千葉県)と寒川神社という記事を書いたのは、良弁と台与の設定を探るためです。
寒田神社(足柄上郡松田町)は、ヤマトタケルが東征の折に立ち寄って休息したと伝えられ、古代の旅人が足柄峠を越える際に道中の安全を祈願したとされる神社です。
ヤマトタケルは台与です。~第1156話:ヤマトタケルは台与~AIとの対話(15)
良弁は、相武国造後裔の漆部氏の出身で鎌倉生まれと言われています。~良弁 - Wikipedia
別伝によれば、近江国の百済氏の出身、又は、若狭国小浜下根来生まれともされています。
近江国(滋賀県)も若狭国(福井県)も台与にかかわりのある地です。
小浜下根来には、八幡神社(福井県小浜市下根来)があり、譽田別尊を祀っています。
譽田別尊=応神天皇=台与です。
~第581話:応神天皇(第15代)は台与 第1151話:八幡神と名草
良弁は、母親が野良仕事の最中、目を離した隙に鷲にさらわれて、奈良の二月堂前の杉の木に引っかかっているのを義淵に助けられ、僧として育てられたと言われ、東大寺の前身に当たる金鐘寺に住むようになったという如何にも作り話めいた伝説があります。
良弁は東大寺を創建した聖武天皇、大仏建立に協力した行基、インド出身の渡来僧で大仏開眼供養の導師を務めた 菩提僊那 (ぼだいせんな)とともに、東大寺の創建に功績があった「 四聖 」の一人とされていますが、国の正史である 続日本紀に良弁が登場するのは4か所しかなく、その死についても、「良弁が亡くなった。使いを遣わして弔った」と簡単に記すだけで、他の高僧のように、生涯を振り返る伝記が収載されていません。
良弁は、石山寺の建立にも関わったことは、石山寺縁起絵巻や元亨釈書に書いてあります。天平宝字5年(761年)から翌年にかけての増改築では、良弁の「大僧都宣」により、三丈殿・五丈殿の取得・解体・運漕に必要な米・銭や雇役夫の功食が調達されたとあり、人事・業務・財源は良弁が掌握していたとみられています。また、坂田庄*の大菩薩料地子米や石山寺の米・銭も造石山寺所へ供給され、石山寺造営は良弁の統轄下で進められたと書かれています。*坂田庄(近江国坂田郡)は、息長氏の本拠地とされる地です。
第1061話:枚方・白肩・白方・平潟では、私が邪馬台国とする枚方との関係を書きました。
石山寺縁起絵巻によれば、天平19年(747年)に良弁(東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音像をこの地に祀ったのが当寺の始まりとされており、その頃、東大寺大仏の造立にあたり、像の表面に鍍金(金メッキ)を施すために大量の黄金を必要としていました。そこで、聖武天皇は、良弁に命じて黄金が得られるよう吉野の金峯山*に祈らせます。金峯山はその名の通り、「金の山」と信じられていたようである。そうしたところ、良弁の夢に吉野の金剛蔵王(蔵王権現)が現われ、こう告げた。「金峯山の黄金は、(56億7千万年後に)弥勒菩薩がこの世に現われた時に地を黄金で覆うために用いるものである(だから大仏鍍金のために使うことはできない)。近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい」。夢のお告げにしたがって石山の地を訪れた良弁は、比良明神(≒白鬚明神)の化身である老人*に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建てた。そして程なく(実際にはその2年後に)陸奥国から黄金が産出したとされています
*吉野の金峯山は台与に関係のある地です。~第763話:天武天皇は台与(4)~吉野
*比良明神(≒白鬚明神)の化身である老人はウツシコオです。
このブログでは、しばしば白髪の老人が現れます。第691話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(1)~飯野山神社では、飯野山神社の社伝によると、日本武尊がこの地に本陣を敷いたが時、兵粮が尽きて困り果てていた際に、老翁が忽然と現れて米を炊いて日本武尊に献上し、日本武尊が大いに喜び、祠を建てて祀ったことに始まるそうです。「白髪の老人」はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。
天平21年(749)、陸奥国司・百済王敬福が献上した産金900両によって、奈良の大仏の鋳造が完成したことは有名です。第476話:金華山と百済王敬福では、次のように書いています。金華山の名はこの金花(華)「くがね咲く」から来ています。
そして黄金を発見したのは百済王:敬福配下の百済系鉱山師ではないかとも言われています。また、産出した金を朝廷に献上したのも百済王:敬福です。
敬福は従三位宮内卿・河内守に任じられ、百済王氏の居館を難波から河内(枚方市中宮:現在の百済神社)に移したとされています。
枚方市にある百済神社(百濟王神社)の祭神は、進雄命(=牛頭天王)です。牛頭天王の牛は鹿と同じく角があるので、スサノオのキーワードです。牛頭天王は=スサノオ(津田の王)です。第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?
敬福は台与の父親であるウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米と関係があると思われます。そして、第941話:坂上田村麻呂と金
でも坂上田村麻呂(=台与)と金の関係について書きました。
そして何よりも良弁について疑わしいのが行基との関係です。
東大寺建設(大仏造営)に関するプロジェクト以外で、良弁と行基が個人的に親密であったことを直接証明する一次史料(同時代に書かれた確実な歴史記録)は存在しません。
奈良時代の正史である『続日本紀』をはじめ、当時の信頼できる記録において二人が同時に登場するのは、東大寺の前身である金鐘寺の整備や、聖武天皇の勅願に基づく盧舎那仏造営(740年代)に関する文脈のみです。
良弁という名の僧侶は実在したのかもしれません。しかし良弁に関する伝説は邪馬台国の初代大王である台与をもでるとして創作されたものだということです。
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良弁は、義淵(ぎえん)に師事したとされています。
義淵にも醍醐寺本『諸寺縁起集』薬師寺縁起によれば、憤怒のあまり悪龍と変じたという伝説があります。
義淵は岡寺を建てたとされています。岡寺も台与と関係のある寺です。~第795話:岡寺と台与(豊)
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




旧国道(江戸時代の山陽道)沿いの北側に、土地の人々から「太田のお地蔵さん」の愛称で信仰されている地蔵菩薩があります。奈良時代の高僧行基が建てたと伝えられています。
https://www.town.hyogo-taishi.lg.jp/soshikikarasagasu/kikakuseisaku/taishicho_profile/meisyodensetsu/1426559966926.html
<台与シリーズ>
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衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
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ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
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ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
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