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谷汲山(たにぐみさん):大口大領

  • tootake
  • 6月26日
  • 読了時間: 5分

更新日:7月2日

第725話 #谷汲山華厳寺 #会津姫 #台与


華厳寺(けごんじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積にあります。山号は谷汲山(たにぐみさん)。西国三十三所の第33番札所で、西国三十三所の札所寺院では唯一近畿地方以外にあります。桜や紅葉の名所としても知られています。


永禄3年(1560年)成立の谷汲山根元由来記によると、谷汲山華厳寺は延暦17年(798年)に陸奥国会津の郡司で黒河郷(福島県会津若松市)の大口大領なる人物によって創建されたといいます。


大口大領は、七日間の苦行の末、満願(七日目)の明け方に十四、五歳の童子(文殊大士と呼ばれる)が現れるとその御告げによって霊木を手に入れることができました。こうして大口大領は都の仏師に依頼して自らの信仰する十一面観音の像を造立できました。大口大領は出来上がった観音像とともに会津に帰ろうとして観音像を運んだところ、しばらくして観音像は近くにあった藤蔓を切って杖にして、御笠を被って草鞋を履いて自ら歩き出したという。しかし、美濃国の赤坂(岐阜県大垣市)で観音像は動かなくなってしまいます。すると観音像は、「遠く奥州の地には行かない。我、これより北五里の山中に結縁の地があり、其処にて衆生を済度せん」と述べ、奥州とは異なる北に向かって歩き出した。そうしてしばらくした後当地に辿り着くや観音像は歩みを止めて一歩も動かなくなった。大口大領はこの地こそが結縁の地だろうと思い、この山中に柴の庵を結んでいた豊然上人とともに堂宇を建てて観音像を安置した。これが谷汲山華厳寺の始まりとされています。


上記の逸話は、どことなく阿弥陀如来像を長野県の善光寺に祀ったの本田善光の話に似ています。大口大領=本田善光=台与ではないでしょうか。


上記の逸話では、会津という地名が出てきます。古事記によれば、北陸道を平定した大彦命と、東海道を平定した建沼河別命が合流した場所が会津であるとされています。(会津の地名由来説話)。建沼河別命=大彦は台与です。

・これまで、大彦について書いた記事


そして会津姫とは、台与です。~第680話:会津姫~小平潟天満宮:平潟(枚方)

会津(あいず)の「いず」は、伊豆(いず)、出石(いずし)、出雲の「いず」です。

現在に伝わる香取氏の系図では、「経津主尊-苗益命-経津主命-武経津主命-忌経津主命-伊豆豊益命-斎事主命-神武勝命……」となっています。

経津主大神はウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王ですが、若がつくと台与のことになります。伊豆豊益命には「豊」がついているので台与のことです。

第674話:伊豆・出石・出雲


つまり、善光寺の本田善光も谷汲山華厳寺の大口大領も各地に仏教を広めようとした台与のことだと思われます。文中の十四、五歳の童子(文殊大士)は、卑弥呼が死んだ後に十三歳で邪馬台国(ヤマト=日本国)の大王に即位した台与を思わせます。


台与は、全国の河川を改修し、稲作を促進し、さらに仏教の普及により、ヤマト(邪馬台国=日本)を統一したのです。


関連項目:第539話:仏教伝来異聞

    

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「谷汲山」という山号については、寺を創建するための整地で岩場を彫削していると、油が湧き出したので、これを本尊に供える灯明の油として用いたといいます。

後にこの逸話を聞いた醍醐天皇より「谷汲山」の山号と「華厳寺」の寺号を賜り、朱雀天皇からは国家祈願の勅願寺となりました。秘仏本尊、十一面観世音菩薩を祀る本堂、満願成就を報告する満願堂、笈摺や菅笠を納める笈摺堂は、それぞれ現世・過去世・未来世を意味しています。本堂の向拝の左右の柱には、青銅製の「阿吽」の鯉が取り付けられており、満願した暁には、この鯉に触れて精進落としとし、心新たにこれからの人生のスタートを切ることができます。


花山法皇が禅衣(笈摺:おいずる)、杖、および三首のご詠歌を奉納されました。この堂には今日も西国三十三所巡礼を終えた人々が奉納した笈摺、朱印帳等が置かれています。私も、西国三十三所をすべて回りました。


このブログを書いているうちに、台与の足跡をたどっているうちに、西国三十三番と重なる場所が増えてきました。

第一番  青岸渡寺→第543話:熊野の神々は、、、    

第二番  金剛宝寺(紀三井寺)

 →名草(和歌山市)第590話:彦狭知(ヒコサチ)の物語2~珍彦(ウズヒコ)

第八番  長谷寺→第666話:元伊勢(13)~長谷寺・與喜天満宮

第十番 三室戸寺→三室戸寺~宇治(莵道)

第十八番 六角堂(頂法寺)→第519話:六角堂と平安京

第二十四番 中山寺→第706話:中山寺・清荒神・売布神社~宝塚市

第三十番   宝厳寺(竹生島)→第705話:竹生島神社・宝厳寺 ~琵琶湖

番外 元慶寺(山科)→第720話:毘沙門堂~京都市山科


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



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2件のコメント

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tootake
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tootake
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