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丹敷戸畔

第223話


神武天皇は皇子の手研耳命(たぎしみみ)とともに軍を率いて熊野の「荒坂の津」に着いたと日本書紀にあります。荒坂は奈良県の五條市あたりで、紀ノ川、吉野から奈良盆地に入る要衝です。日本書紀では、熊野の荒坂の津で神武軍は丹敷戸畔(にしきとべ)を殺したとことになっています。


丹敷戸畔をニシキトベと読むのは間違いだと言われるのは上垣内憲一先生です。敷はシキと読まずに「フ」と読むべきなのです。丹敷はニフです。ニフとは丹生で丹敷戸畔はニフトベです。そして丹敷戸畔は丹生都姫(ニフ津姫)に他ならないのです。丹敷戸畔こと丹生都姫はこの地にあった水銀朱の採鉱集団の長であったと考えられます。「謎の四世紀」p158~160


ここからは小説になります。第104話で弘法大師空海高野山金剛峯寺を開いた際に地主神たる丹生都比売神社から神領を譲られたとする伝説が知られています。この丹生都比売神社に祭られている丹生都比売こと高屋阿波良姫(タカヤ・アハラ姫)がヒコユキこと大綜杵命(ウツシコオ)の妻であると書きました。


この五條市あたりで、饒速日と九州から来た五瀬命が衝突した筈です。

この戦いはお互いに丹生都比売が持つ鉱山の権利をめぐるもので、饒速日と五瀬命が競って丹敷戸畔攻めたとのです。この時にうまく立ち回ったのがウズヒコ(鴨王)ことウツシコオです。瀬戸内海を仕切っていたウズヒコは饒速日とも五瀬命とも面識があり同盟を結ばせ共同して丹敷戸畔を降伏させたのです。


丹敷戸畔は、ウズヒコ(ウツシコオ)の妻になり生まれた子が、ミホツ姫です。丹敷戸畔にはすでに子がいました。その子が三毛入野だったというのがこの小説の筋書きです。

入野は丹生野(ニフノ)です。そしてこの辺りはナカと呼ばれいる地域です。三毛入野は長脛彦です。ミホツ姫は玉櫛姫で三炊屋媛です。三炊屋媛は長脛彦の妹です。三炊屋媛の本名は櫛玉姫命です。ミホツ姫はウツシコオの娘で長脛彦の妹です。


第213話長脛彦の物語では、物語を単純にするため、このブログでは、三毛入野は五瀬命と同一人物としておきます。また三毛入野は周防国熊毛郡の王と称するほどの存在でした。

と書きました。この三毛入野(五瀬命)は長脛彦の父親だったということにしておきます。長脛彦は二代目三毛入野です。



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。





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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
2月07日
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