第168話
出雲の一宮は、熊野大社です。では二宮はどこの神社と思って調べて見ると出雲には二宮は存在しないそうです。前回述べた佐太神社を二宮とする説もありますが、これも後付けの取って付けたような説です。本当は出雲大社が二宮だったと思います。そしてそのことは絶対に言ってはいけないことだったのです。
熊野大社が先に在って出雲大社が後から作られた(創作された)のです。出雲大社は元々はキツキ(杵築)神社でした。出雲大社となったのは明治4年です。
出雲以外にも杵築という地名はあります。キツキは、臼と杵~ヤマトタケル2 で書いたように、朱石をすりつぶすために使われた杵によるのではないかと思われいます。
この石人を臼(うす)と杵(きね)に見立て、「臼杵」という地名はこの石人から起こったものであるというものです。しかしこの見立ては間違っています。
福岡県の糸島市にある糸島高校では、歴史部というクラブがあり、泊熊野遺跡から出土した甕棺が展示されています。甕棺の内部は朱の粉で真っ赤に塗られています。また、大根のような形をした石杵と石臼も展示されており、石杵の先端は赤みを帯びており、この石杵と石臼は、朱石をすりつぶすために使われたのではないかと思われています。泊熊野という地名は熊野=素戔嗚を連想させます。臼と杵~ヤマトタケル2
泊熊野遺跡の熊野は、出雲の熊野大社との関連を疑わせます。大分県の北東部に杵築市があります。この市の近くに、宇佐神宮があります。ちなみに杵築大社(出雲大社)も、宇佐神宮も、他の神社の参拝方法とは違い、二拝四拍手一拝です。
出雲大社は古来より、杵築(きづき)の郷に由来して、杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれてきたといいます。現在の住所は、島根県簸川郡大社町杵築東宮内です。
そして熊野大社の祭神は加夫呂伎熊野大神櫛御気野命(かぶろぎ・くまのの・おおかみ・くしみけぬのみことと)称える素戔嗚尊とされています。この熊野神社になぜ櫛御気野命が祭られているか疑問に思っている研究者がいるそうです。しかし、私にはよくわかります。
櫛御気野命とは、三毛入野、すなわち長脛彦のことです。出雲の地に落ち伸びたウマシマジが真っ先に祭りたかったのは、自らが葬り去った長脛彦です。
このプログでは、長脛彦は三毛入野はとしています。長脛彦は五瀬命!?
三毛入野は神武(創作された神武)の兄の一人です。三毛入野は周防(山口県)の周防国熊毛郡の地方豪族です。三毛入野もやはり鉱山の経営者だと思われます。家津美御子(けつみみこ)~熊野
いつも参考にさせてもらっている上垣内先生によると、出雲の熊野大社の祭紳は櫛御気野命(クシミケヌ)で和歌山の熊野の家都美御子(ケツミミコ)と同じ神だと思われます。
繰り返します。神武の兄とされる三毛入野は熊野三山の家津美御子(”ケ”ツミミコ)、出雲の熊野の櫛御気野命(クシミ”ケ”ヌ)と同じ神(=同じ人物)と思われるのです。そして櫛御気野命(クシミ”ケ”ヌ)は長脛彦です。ウマシマジが殺したとされる長脛彦です。
※これまでの記事はこちらです。
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。
熊野大社(出雲)