味鋤高彦根命は事代主!
- tootake
- 2024年1月22日
- 読了時間: 2分
更新日:2024年1月23日
第206話
カモ族(賀茂、鴨)には以下の3系統があるとされています。
第一の系統が味鋤高彦根命(アジスキタカヒコネ)を始祖とするものです。
味鋤高彦根命-天八現津彦命→都佐・長国造
第二の系統が事代主命を始祖とし、
事代主-天日方奇日方命→賀茂・三輪君
第三の系統が賀茂建角身命を始祖とし、
賀茂建角身命-玉依彦-生玉兄日子命→賀茂・鴨県主
この中で味鋤高彦根命=賀茂建角身命であることが判明しています。
私は、アジスキタカヒコネは事代主だと思っています。アジスキタカヒコネは、大国主神が多紀理毘売命との間にうまれたされています。事代主も大国主の子です。事代主の母は、神屋多底姫命で別名は高津姫です。高津姫 ~岩船街道 (hidemaru3375.com)
多紀理毘売命は高津姫だとするとアジスキタカヒコネは事代主です。
大阪府高槻市には三島鴨神社があり、祭神は大山祇と事代主です。
伊予の大山祇神社、伊豆の三嶋大社とともに「三三島」とされています。また、日本で最初の三島神社(山祇神社)です。
前にも述べましたが私は、大山祇はタケハニヤスではないかと思っています。大山祇は、和多志(渡し)の大神であり、淀川を支配した三島の溝杭です。淀川の物流の拠点である南方、枚方、三島、久我(クガ)をタケハニヤスは抑えていました。
高槻市にある三島鴨神社は、17世紀以前は「幾島大明神」と呼ばれていました。磯嶋は、枚方市でうちの近所です。〒573-1186
私は、幾島は枚方市であるのに摂津国とされているのが前から不思議に思っていました。枚方市は古代は交野郡です。おそらく磯嶋も三島の溝杭の支配下にあったのでしょう。磯嶋は高槻市の対岸です。もちろん三島鴨神社と淀川をはさみますが近距離です。強いて言うならイカガシコメ・イカガシコオの伊加賀の近くです。
阿遅鋤高日子(アジスキタカヒコネ)のまたの名を迦毛大神です。
迦毛は鴨・賀茂であり、『姓氏録』に「賀茂朝臣、大神朝臣同祖、大国主神之後也」。
古事記で最初から「大御神」と呼ばれているのは、天照大御神と迦毛大御神だけです。
アジスキタカヒコネがこのように扱われているのは、弟の大彦によってタケハニヤスとして打ち取られたてしまったからではないでしょうか。
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。
※これまでの記事はこちらです。
点野 伊加賀の近く
<大彦>
天香語山命~大彦も五伴緒のメンバー
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
卑弥呼はイカガシコメ??
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
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五十猛の九州征圧
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<五十鈴姫=媛蹈鞴五十鈴媛=富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライスズキヒメ>
ミマキ姫は、五十鈴姫~茨木市五十鈴
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お多福さんと五十鈴姫
金屋子神は五十鈴姫