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方違神社~大阪府堺市

更新日:2023年12月28日

第177話~地球幾何学8


仁徳天皇陵→牧野車塚古墳→男山八幡と一直線につながるという地球幾何学シリーズのスタート地点の仁徳天皇陵のすぐそばにある大阪の堺には方違神社という神社があります。ここに詣でれば方違えをせずに目的地へ行けるということです。すぐ側には反正天皇の百舌鳥耳原北陵もあります。


この神社の住所は大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町で「三国山こずえに住まふむささびの鳥まつがごとわれ待ち痩せむ」と万葉集にも歌われているようにように、摂津、河内、和泉の三国の境界にあるため“三国山”また“三国丘”とも称され、この三国の境で何処の国にも属さない方位の無い清地であるという考え方に依り、その境内の御土と菰の葉にて作られた粽は悪い方位を祓うという信仰を以て、古きより方災除の神として御神徳を仰ぐ参詣者が全国より訪れます。ちなみに“堺”の地名はこれに由来します。


「方違え」は10世紀頃から行われていた風習で、方角の禁忌をやり過ごすため、縁起が悪いとされる方角を避けて別の場所(方違所)に1泊し、翌日そこから目的地へと向かうというものです。たとえば東に行きたいが東は縁起が悪い場合、いったん北や南に1泊してから目的地へ向かえば、目的地は東ではなくなるため大丈夫だと考えられていました。


方違神社の社殿では、崇神天皇5年に疫病が大流行し、多くの民が死亡しました際に勅願により物部大母呂隅足尼(もののべのおおもろすみのすくね)を茅渟の石津原に遣わせ須佐之男神を祀らせ給うたところ、疫病は途絶え五穀は豊穣となったといい、これが方違神社創祀の起源とされています。~物部大母呂隅足尼とはイカガシコオのことでしょう。



後に応神天皇は此の地に須佐之男神・三筒男神・神功皇后を合せ祀るようになっているのは、男山八幡氣比神宮などと同じです。仁徳天皇陵→牧野車塚古墳→男山八幡と一直線につながるという理由は、10世紀頃から行われていた風習この「方違え」にあるのでは?と思い始めています。


※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。



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