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宇治神社と宇治上神社

  • tootake
  • 2 時間前
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第895話


宇治神社は、京都府宇治市宇治山田にあります。祭神は、菟道稚郎子*です。

*このブログでは、菟道稚郎子=聖徳太子=台与としています。


菟道稚郎子の「菟」が、「兎」と字が似ていることから、兎は神の使いとされています。

菟道稚郎子命が、河内の国から菟道へ向かわれる途中、道に迷われた。その際、一羽のうさぎが現れ、後からついてこられる命を先導したという古伝から「みかえりうさぎ」といわれ、神使とされています。現在、宇治神社ではみかえり兎の絵馬やおみくじを頒布しています。


第378話:猿丸幻想(3)~宇都宮は兎の都では、兎は「内=宇治」としています。「内」はウツシコオの「鬱=内」です。

宇都宮のウツは兎のことだそうです。宇佐家の氏神は、ウサ神ですなわち兎神だそうです。

第129話:菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)では、地名「宇治」について、山城国風土記では、日本書紀の垂仁天皇紀・仲哀天皇紀・神功皇后紀にはすでに「菟道河(宇治川)」の記載があることから、菟道稚郎子の側が地名を冠したものと見られています。現在では、北・東・南を山で囲まれて西には巨椋池が広がるという地理的な奥まりを示す「内(うち)」や、宇治を中心とした地方権力によるという政治的な意味での「内」が、「宇治」の由来と考えられています。宇治市史 1(宇治市役所、1973年)と書いています。


宇治上神社は宇治神社に隣接してあります。実はこの宇治上神社は、現存する神社建築の中で最古の木造建築とされています。2004年の年輪年代法による調査で、使用木材の伐採年代が984年や1060年頃であることが確認されており、宇治上神社の本殿は国宝に指定されています。


前回:二つの三嶋鴨神社や、第785話:伊勢神宮の秘密(2):内宮と下宮がある理由第730話:氷川神社と氷川女体神社~埼玉県さいたま市でも書いたように、重要な地にある神社はウツシコオと台与の2つが必要だったのです。上賀茂神社の祭神は、賀茂別雷=台与で下賀茂神社の祭神は賀茂建角身命=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=難升米です


宇治上神社は、応神天皇*の離宮「桐原日桁宮」の旧跡で、皇子の菟道稚郎子命の宮居跡と伝えられています。宇治上神社の境内には「天降石」・「岩神さん」と呼ばれる巨石*があります。*応神天皇は台与です。~第581話:応神天皇(第15代)は台与

*巨石(磐座)<石:岩:イワ>

 長谷寺では、泊瀬(はせ)の地を補陀落山に見立て、小泊瀬の険しい崖に懸崖造りのお堂を建て、自然湧出に見立てた盤石に観音を安置しています。「磐石に立つ」ことが長谷観音にとっては大きな意味があるのです。磐座神社の磐座(いわくら)とは、古代より神として信仰されている巨大な岩のことです。磐(岩)は台与のキーワードです。

つまり、宇治上神社は、台与の宮で宇治神社は、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王の宮だったと思います。


また、第771話:和歌山の宇治では、和歌山にも宇治神社(和歌山市新魚町)があることを書きました。

于遅比古(うじひこ)の「ウジ」は、和歌山県宇治袋町を遺跡地名とし、近隣には宇治神社(和歌山市新魚町)も鎮座しています。日本霊異記には、「紀伊国の名草郡の宇治」とあり、古代から紀伊国名草郡内の地名として存在していたことが確認できます。


宇治神社の祭神は、宇治三部大明神(天照大御神 丹生都比売大神 高野御子大神)です。

天照大御神は卑弥呼、丹生都比売大神は台与ですので、高野御子大神がウズヒコ(ウツシコオ)でしょうか。第322話:大名草彦と菟道彦(うじひこ)では、菟道彦(うづひこ・うじひこ)は、大名草比古命の子としています。


このブログもそろそろ900回になります。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

そして、最近、すべての神社(明治以降の神社は除く)の祭神は、ウツシコオと台与と思うようになってきました。この理屈で言うと、和歌山県の宇治神社で祀られている天照大御神、丹生都比売大神は、京都の宇治神社で祀られている菟道稚郎子ということになります。


そして、播磨国風土記に、菟道稚郎子は、「宇治天皇」と記されています。

播磨国は、聖徳太子とゆかりの地です。

このことによっても、聖徳太子=菟道稚郎子=台与ということが分かります。

~第342話:聖徳太子は菟道稚郎子


※現存する世界最古の木造建築が聖徳太子の法隆寺で、現存する神社建築の中で最古の木造建築が菟道稚郎子の宇治上神社であるというの、邪馬台国の大王である台与の権威の大きさを物語っています。


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれている13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



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2件のコメント

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tootake
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tootake
2時間前
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