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八百比丘尼と「おしら様」

  • tootake
  • 10 時間前
  • 読了時間: 5分

第896話


京都市右京区太秦にある木島坐天照御魂神社については、第499話:木嶋坐天照御魂神社と日神の託宣で書きましたが、この木島坐天照御魂神社が蚕ノ社と呼ばれ、養蚕・織物に関わる信仰が伝えられていることには触れませんでした。秦氏が養蚕・機織りの技術をもたらしたとされることから、社名や由来が「蚕」に結びつけられています。


木島坐天照御魂神社の本殿の東側には蚕養神社(こかいじんじゃ、東本殿)が鎮座しています。


日本書紀や新撰姓氏録では、秦氏が蚕や絹を税として献上したことが地名や氏族名の由来とされる説が書かれています。養蚕と太陽信仰桑の木や蚕が太陽信仰と結びつけられ、中国の「扶桑」伝承との関連が示されています。太陽が桑の木から昇るという観念が、養蚕神社が天照御魂神社の摂社である理由とされています。


木島坐天照御魂神社の養蚕神が八百比丘尼や「おしら様」と関連付ける説があります。


八百比丘尼の長寿伝説が養蚕信仰と結びつく可能性に触れています。蚕は繭を作り、死と再生を繰り返す存在であるため、「不老長寿」「再生」の象徴とされ、八百比丘尼の不老伝説と重ねられるのです。


関連東北地方の「おしら様」も養蚕神であり、蚕が繭を作って死と再生を繰り返すことから霊力を持つとされます。つまり、八百比丘尼=不老長寿の象徴/おしら様=養蚕と再生の象徴として、両者は民俗的に響き合う存在とされているのです。


養蚕と太陽信仰桑の木や蚕が太陽信仰と結びつけられ、中国の「扶桑」伝承との関連が示されています。太陽が桑の木から昇るという観念が、養蚕神社が天照御魂神社の摂社である理由とされています。


八百比丘尼伝説との関係記事では、八百比丘尼の長寿伝説が養蚕信仰と結びつく可能性に触れています。蚕は繭を作り、死と再生を繰り返す存在であるため、「不老長寿」「再生」の象徴とされ、八百比丘尼の不老伝説と重ねられるのです。

おしら様との関連東北地方の「おしら様」は養蚕神であり、蚕が繭を作って死と再生を繰り返すことから霊力を持つとされます。記事では、八百比丘尼の長寿伝説が「おしら様」信仰と同じ文脈で理解できる可能性を示しています。つまり、八百比丘尼=不老長寿の象徴/おしら様=養蚕と再生の象徴として、両者は民俗的に響き合う存在とされているのです。


八百比丘尼とは、人魚の肉を食べて不老長寿となった女性の伝説で、日本全国に広く分布しています。「白比丘尼(しらびくに)」とも呼ばれ、若々しい姿のまま八百歳まで生きたと伝えられます。

第869話:観音正寺と人魚伝説では、水銀が、が不老不死の薬と信じられていことから、

人魚伝説=八百比丘尼伝説で、そして、水銀(朱)は、台与、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王の求めていたものなのです。~第63話:丹・朱を求めた天皇たち

第742話:お水送り(2):遠敷明神と丹生都比売神では次のように書いています。


福井県若狭の遠敷のすぐ隣の小浜市に八百比丘尼が祀られている八百比丘尼入定洞があります。その周辺の「マーメイドテラス」も人魚伝説にちなんだスポットもあります。

八百比丘尼は、不老不死を願い、道教の仙人や錬丹術師から勧められた「水銀」入りの丸薬を摂取したとされる伝説があります。


おしら様は、東北地方を中心に信仰される家の守り神・養蚕神です。

木製の棒や布で作られ、男女一対の神像として祀られることが多く、女性の霊性や家族・生業を守る象徴とされます。


直接的な史料上の結びつきはありませんが、八百比丘尼の「不老長寿」とおしら様の「養蚕・再生」の象徴性は共通しています。


この八百比丘尼は、関東・東北地方の農業神・養蚕神であるオシラサマと関係し、蚕が幾度も化身し死と再生を繰り返すことから神秘的な霊力を持つと見られ、富(絹)と寿命を与える福神(常世神)つまり一種のオシラ神を祀るのが蚕の社だと言えるのです。比丘尼の長寿の話はここから来たようであり、秦氏は民衆の現生利益の願望と結びついた信仰と密接な関係にあったようです。


第487話:おしら様では、このおしら様もウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王ウツシコオと台与のコンビだとしました。

おしら様信仰誕生の背景に山神信仰や養蚕作業対する信仰その他が混ざり、原初的な多様な性格を有する神として台与をモデルに成立したものなのです。


蚕の不老不死=おしら様、水銀(朱)の不老不死=人魚、こられの伝説は、秦氏(=台与)は、養蚕と朱(鉱山経営)これらを邪馬台国(ヤマト)の国家経済基盤としていたことを物語っているのです。



これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれている13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>


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4件のコメント

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tootake
2時間前
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tootake
7時間前
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松尾大社の大祭に参加する七社に含まれますが、当社は神輿ではなく唐櫃を出します。この唐櫃は、当社に御船社があることから、大和氏はおそらく船の意味だと推定されます。月神が船に乗って渡御する事を示しており、当社の月神が元々海人に信仰されていた事の名残だと考えられていました。

 

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tootake
10時間前
5つ星のうち5と評価されています。

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