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中臣印達神社:権現は台与

  • tootake
  • 6月21日
  • 読了時間: 5分

更新日:7月2日

第720話 #蔵王権現 #安閑天皇 #台与


兵庫県たつの市揖保町中臣に中臣印達神社(なかとみ ・いたて・じんじゃ)という変わった名前の神社があります。大字名の中臣(なかじん)に鎮座することから、地域では音読みのナカジン-インダツ神社と呼ばれています。印達(いたて)は、五十猛(いたける、いたて)のことです。中臣印達神社の祭神は五十猛命(いたける)です。


宝亀元年の創祀と伝えられ、延喜式の名神大社に列格しており、中古より両部神道のため修験者が社務に関与して社背の山上にあった十二所権現を本社に合祀しています。近世に至るまで社名を蔵王権現と称していましたが、明治10年に上創立当時の社名である中臣印達神社に復称しています。


中臣とは、言わずと知れた藤原氏の元の姓です。なぜ中臣と五十猛が結びついているのか、不思議がられています。このブログの、第349話:天児屋命はウツシコオ!! 第263話:中臣氏~中臣烏賊津などの記事で、中臣氏も物部氏も同族であったことを述べています。天児屋命の別名として、八意思兼神とも同一視する説もあります。中田憲信「兼松」『諸系譜』第二十四冊。八意思兼神とはウツシコオ(内色許男命)のこととしています。


五十猛についても、第517話:五十猛のグロは大歳=台与(豊)で、五十猛は台与としています。五十猛とスサノオ(津田の王は、ウツシコオ(内色許男命)と台与のコンビです。


たつの市揖保町は、ウツシコオ、台与の拠点地であることは、何度も述べています。

中臣印達神社の近くにある夜比良神社には対のような伝承が残っています。

「上古のむかし、ひと夜のうちに権現山の西北隅の揖保川に突き出でている角にあった大岩石上に八尋(やひろ)もある白い旗が立った。人々が不思議がってこれを見に行くと、「我は伊和大神*なりの声が聞こえた。」とあります。

この巨岩は盤座(いわくら)であったと思われ、”下駄の足形石”または”天神さんの足跡”などと呼ばれ、人々に親しまれていましたが、道路改修のため削り取られ、現在は、一部痕跡が見られるだけです。

台与にいた場所には、たいてい巨岩(磐座)があります。

・長谷寺では、泊瀬(はせ)の地を補陀落山に見立て、小泊瀬の険しい崖に懸崖造りのお堂を建て、自然湧出に見立てた盤石に観音を安置しています。「磐石に立つ」ことが長谷観音にとっては大きな意味があるのです。磐座神社の磐座(いわくら)とは、古代より神として信仰されている巨大な岩のことです。磐(岩)は台与のキーワードです。~磐衝別命と健磐龍命

・大阪府交野市に巨石があり饒速日(にぎはやひ)が天下った船神社になっています。

・熊野にあるゴトビキ岩(神倉山)が速玉大社の本宮です。祭神は高倉下です。~第543話:熊野の神々は、、、


そして蔵王権現と、安閑天皇とは 、神仏習合の教説で蔵王権現と同一視されています。

なぜ、安閑天皇が蔵王権現なのかは、ちゃんとした説明はなされていませんが、私なら説明できます。


安閑天皇の諱(いみな)は、勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ)です。大兄=大江は、台与の事です。第583話:履中天皇(第17代)~大江では、履中天皇(大江之伊邪本和気命:おおえのいざほわけのみこと)は台与としています本朝皇胤紹運録によれば安閑天皇の子に彦王(とよひこのみこ)がいます。

古事記では、履中天皇の和風諡号は、広国押建金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)で、日本書紀ではに広国押武金日天皇です。広く国を広げたという意味で、この名前からヤマトタケルを関東、東北にまで広げた台与の事を思わせます。ヤマトタケル=イタケル=台与です。~第439話:ヤマトタケルは台与 


また、中臣印達神社の境内には、薬司神社(権現さん)があります。祭神は少彦名命(スクナヒコ)です。少彦名は、台与です。~少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 


以上から、五十猛=安閑天皇=権現=少彦名が台与であることが分かります。


*伊和(いわ=)大神は台与であることは、第594話:彦狭知の物語(6)~アメノヒボコで書いています


<兵庫県たつの市揖保町付近の過去に書いた記事>


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





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2件のコメント

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tootake
6月21日
5つ星のうち5と評価されています。

蔵王権現(ざおうごんげん)は、日本独自の山嶽仏教である修験道の本尊である。正式名称は金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)、または金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)[2]。インドに起源を持たない日本独自の仏で、奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる。「金剛蔵王」とは究極不滅の真理を体現し、あらゆるものを司る王という意[3]。権現とは「権(かり)の姿で現れた神仏」の意。仏、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括しているという[4]。

また神道において、蔵王権現は国常立尊、大己貴命、少彦名命、日本武尊 、金山毘古命等と習合し、同一視された。その為蔵王権現を祭る神社では、主に上記の5組の神々らを祭神とするようになった。

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tootake
6月20日
5つ星のうち5と評価されています。

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