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お水送り(2):遠敷明神と丹生都比売神

  • tootake
  • 7月13日
  • 読了時間: 7分

第742話 #八百比丘尼 #人魚伝説 #辰砂


前回:お水送り:若狭神宮寺・若狭彦神社で書いた若狭彦神社の遠敷明神(おにゅうみょうじん)は和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野にある丹生都比売神(にうつひめのかみ)と東大寺の「お水取り」儀礼を通じて象徴的な関係性があると指摘されています。


🌾丹生都比売神と遠敷明神とのつながり

  • 丹生都比売神は、水神としての性格を持つとされ、紀伊国の水源地に鎮座し、農耕や養蚕、煮炊きなど生活の根源に関わる神として信仰されてきました。

  • 丹生川上神社との関係や、紀伊山地の水系を掌る神としての性格から、水を通じた神聖なネットワークの一端を担っていると考えられます。

  • 東大寺のお水取りにおいて、遠敷明神が水を送る役割を担うことは、水神信仰の広域的な連携を象徴しており、丹生都比売神もその思想的背景に位置づけられる存在です。

🧭文化的・信仰的な「関係」

神名

地域

性格・役割

お水取りとの関係性

丹生都比売神

紀伊国(和歌山)

水神・丹(朱砂)の神・農耕守護

水神信仰の思想的背景に関与

遠敷明神(若狭彦神)

若狭国(福井)

水神・神水の守護神

東大寺へ神水を送る中心的存在

このように、丹生都比売神と遠敷明神は「水を通じて人々を清め、祈りを届ける」神々として、東大寺の修二会における水の儀礼を支える象徴的な存在です。直接的な神話的関係はなくとも、水神信仰の広がりと連携の中で、精神的な共鳴があるといえるでしょう。


丹生都比売神の性格については大きく分けて2説があります。

1つは水神とみるもので、その根拠として天野の地が紀の川の一水源地であること、空海が丹生都比売神社から譲り受けたという神領は有田川・貴志川・丹生川・鞆淵川の流域のほぼ全域を占めていたこと、関係する丹生川上神社は水神信仰であること、東大寺のお水取りで水を送る遠敷明神(おにゅうみょうじん;若狭彦神社)の存在、御田祭などの祭事における性格等が挙げられる。

もう1つは、「丹」すなわち朱砂(辰砂:朱色の硫化水銀)の採掘に携わる人々によって祀られたという説です。全国にある「丹生」と名のつく土地・神社は、水銀の採掘に携わった氏族(丹生氏)と深い関係にあることが明らかとなっています。丹生一族が水銀採掘で一大勢力を築いたが、その枯渇に際して天野や三谷で帰農、丹生都比売神社も水神信仰に変化したとする説もあります。~丹生都比売神社 - Wikipediaより引用


つまり、お水送りの若狭彦神社も元々は、水銀(朱)と関連していたのではないかというのが、今回の論旨です。


福井県若狭の遠敷のすぐ隣の小浜市に八百比丘尼が祀られている八百比丘尼入定洞があります。その周辺の「マーメイドテラス」も人魚伝説にちなんだスポットもあります。

八百比丘尼は、不老不死を願い、道教の仙人や錬丹術師から勧められた「水銀」入りの丸薬を摂取したとされる伝説があります。

人魚の肉を食べた少女が年をとらず、出家して比丘尼となって全国を巡り、椿や松の木を植えていきます。やがて若狭で入定し、場所は小浜の空印寺ともされています。空印寺の比丘尼の石像は椿の花を手にしています。地元小浜では隣の勢村の高橋長者の娘と伝わっています。小浜といえば遠敷のすぐ隣です。朱の長者だったのかも。


柳田国男は比丘尼の生誕を7世紀後半から8世紀初めとしており、水銀による鍍金が盛んに行われていった時期に重なりますね。八百比丘尼のお墓は、若狭彦神社で紹介した「鵜の瀬」にある白石神社近くにあり、椿の群生林もあります。 八百比丘尼は椿の花を愛し、洞穴の入口に白椿を植えたとされ、今もその花が咲き誇っています。


その鵜の瀬と水路で繋がるとされる東大寺二月堂です。お水送りでは、十一面観音に椿の造り花を奉げます。本行の前に練行衆が別火坊で手作りします。(和紙は50年前から染色家の吉岡幸雄氏の工房で用意され、古代から続くベニバナと烏梅の染色法によって鮮やかな色に染められています)。


🌊若狭地方(現在の福井県小浜市周辺)には水銀(辰砂)採取の記録があります。特に遠敷川流域は、古代から水銀の原鉱である辰砂が採れる地域として知られていました。

  • 若狭の「遠敷(おにゅう)」という地名は、古くは「小丹生(こにゅう)」と表記されていました。

  • 「丹生」は水銀や辰砂の産出地を意味する言葉で、全国の水銀鉱床周辺に「丹生神社」や「丹生」という地名が多く見られます。

  • 平城京跡などから出土した木簡にも「小丹生」の記載があり、官命によって「遠敷」に改称されたと考えられています。

  • 江戸時代の国学者・伴信友は若狭旧事考で「遠敷には美しき丹土(辰砂)が多く出る」と記しています。

  • 奈良時代に造立された東大寺の大仏の鍍金(めっき)には、大量の水銀が必要でしたが、その水銀の一部が若狭の遠敷から供給された可能性があるという説もあります。

  • この説は、東大寺の「お水取り」儀式に登場する遠敷明神(若狭彦・若狭姫)と水銀の神格化を結びつける研究者によって支持されています。

若狭の水が「心身の煩いを癒す」とされるのは、辰砂産地の水が特別視されていたためとも考えられています。

🌾🧭🌊はAIによって作成された文章です。


大仏製造には、大仏の表面を鍍金するために、多量の水銀も必要です。

大仏殿碑文に「以天平勝宝4年歳次壬辰3月14日始奉塗金」とあるように、鋳かけ、鋳さらいなどの処理と併行して天平勝宝4年(752)3月から塗金が行なわれました。これに用いた材料について延暦僧録には、「塗練金4,187両1分4銖,為滅金2万5,134両2分銖、右具奉「塗御体如件」とあり、これは金4,187両を水銀に溶かし、 アマルガムとしたもの2万5,224両を仏体に塗ったとしています。すなわち,金と水銀を1:5の比率で混合してアマルガムとし、これを塗って加熱し、塗金を完了するのに5年の歳月を要しています。


福井県の遠敷で採取された水銀を奈良の大仏に用いた可能性は大です。


遠敷の「敷」は、丹敷戸畔の「敷」に通じます。丹敷戸畔をニシキトベと読むのは間違いだと言われるのは上垣内憲一先生です。敷はシキと読まずに「フ」と読むべきなのです。丹敷はニフです。ニフとは丹生(水銀)で丹敷戸畔はニフトベです。そして丹敷戸畔は丹生都姫(ニフ津姫)に他ならないのです。丹敷戸畔こと丹生都姫はこの地にあった水銀朱の採鉱集団の長であったと考えられます。「謎の四世紀」p158~160~第223話:丹敷戸畔


前回書きました若狭神宮寺は、通称「白鬚(しらひげ)神社」です。各地にある白髭神社の祭神は、猿田彦です。猿田彦は、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王です。猿田彦と椿の関係は、第367話:椿の記憶~猿田彦と朱で書きました。


八百比丘尼=椿、椿=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王ということで、八百比丘尼とウツシコオが繋がりました。


第609話:鉱物資源と邪馬台国(7)空海と丹生都姫:水銀では、「丹生都比売命(にうつひめのみこ)=伊和大神=名草トベ=丹敷戸畔(ニシキトベ=ニフ・トベ)=台与(豊)です。」としています。遠敷明神=丹生都比売神は台与です。キーワードは「水銀(朱)」です。~第63話:丹・朱を求めた天皇たち


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



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1件のコメント

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tootake
7月12日
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