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天白磐座遺跡:静岡の台与

  • tootake
  • 1 日前
  • 読了時間: 5分

第1027話


天白磐座遺跡(てんぱくいわくらいせき)は、静岡県浜松市浜名区引佐町(いなさちょう)井伊谷(いいのや)にある古代祭祀遺跡です。静岡県指定史跡に指定されており、指定名称は「渭伊神社境内遺跡」です。


静岡県西部、神宮寺川と井伊谷川により形成される小盆地(井伊谷)の北西部、渭伊神社)後背の薬師山山頂において、巨岩群を神の依代(磐座)*とした古代祭祀遺跡です。1988年(昭和63年)に祭祀遺跡と確認され、1989年(平成元年)に発掘調査が実施されています。磐座は西・東・北の巨岩3つを主体として構成された大規模なもので、特に西岩の西壁直下では、古墳時代の手づくね土器200以上・滑石製勾玉・鉄矛・鉄刀・鉄鏃・鉇など、古墳時代前期後葉から平安時代中期の祭祀遺物が検出されています。


この天白磐座遺跡については、神宮寺川が井伊谷に流入する喉元にあたる位置にあることから、水源(水分)*祭祀の性格が指摘されています。


*磐座(いわくら)は台与のキーボードです。磐衝別命と健磐龍命

「長谷寺では、泊瀬(はせ)の地を補陀落山に見立て、小泊瀬の険しい崖に懸崖造りのお堂を建て、自然湧出に見立てた盤石に観音を安置しています。「磐石に立つ」ことが長谷観音にとっては大きな意味があるのです。磐座神社の磐座(いわくら)とは、古代より神として信仰されている巨大な岩のことです。磐(岩)は台与のキーワードです。

・大阪府交野市に巨石があり饒速日(にぎはやひ)が天下った船神社になっています。

・熊野にあるゴトビキ岩(神倉山)が速玉大社の本宮です。祭神は高倉下です。

~第543話:熊野の神々は、、、

*水源(水分)みくまり姫は台与です。

 

天白磐座遺跡は、渭伊神社(いいじんじゃ)の境内にある遺跡です。

渭伊神社の祭神は、品陀和気命、息長足比売命、玉依比売命でこれらの神は、すべて台与のことだというのはこのブログで何度も述べてきました。


蟾渭神(せんみかんじん)は、平安時代の歴史書:日本三代実録に登場する、遠江国(静岡県浜松市浜名区引佐町)の渭伊神社(いいじんじゃ)の古名とされる神です。

蟾渭神の「蟾」とは、ヒキガエルのことです。

ヒキガエルが雨や水を呼ぶ「水の精霊」として信仰されたことに由来すると考えられており、古代の井水祭祀と深い関係を持つ神様です。

熊野にあるゴトビキ岩(神倉山)のゴトビキとはヒキガエルのことです。第513話:久延毘古(くえびこ)~山田のカカシでは、ヒキガエル多邇具久が久延毘古に寄り添っているのは、久延毘古=台与(豊)だからでしょう、書いています。


渭伊神社には、龍潭寺付近にあった八幡宮が合祀されています。この八幡宮と渭伊神社は同一神社です。龍潭寺(りょうたんじ)は、静岡県浜松市浜名区にあり、寺伝によれば天平5年(733年)、行基*によって開かれたとされています。龍潭寺は渭伊神社の神宮寺だったと思われます。

*行基~このブログは、邪馬台国が大阪府枚方市であることを証明するために書き続けています。卑弥呼の後を継いで、邪馬台国の大王(おおきみ)となった台与の後をたどっているうちに行基に出会いました。

千葉県我孫子市日秀(あびこ・ひびり)の慈愍山(観音信仰と台与(7)~慈愍山観音寺(千葉)、神奈川県川崎市多摩区堰(伊豆美神社~東京都狛江市など関東でも行基と台与 が、関与しています。行基は台与を手本として日本各地で治水工事・稲作推進を行ったのです。

最近では、第997話:大興善寺~基肆郡(肥前風土記)でも行基が登場しています。


台与と行基がなぜこの地に来たかというと、天白磐座遺跡の麓に流れている神宮寺川の治水を行い農業の指導も行っていたからでしょう。


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<追記>

浜名湖周辺でも井伊谷に、墳丘長50M弱で、西遠江最古級である北岡大塚古墳という古墳時代前期の前方後方墳が見られ、畿内王権(邪馬台国)の東漸があったとされています。


天白磐座遺跡は、引佐郡を象徴する「蛇神=雷神=水神」の顕現する場所ともみられています。蛇神=雷神=水神は台与です。

伊勢や東国にいくつかある天白社の祭神は、土着の麻績の神(機織の神)か天白羽神(神麻績部の祖)を祀ることが多いとの指摘もります。麻績の神(機織の神)は秦氏=台与です。

第459話:hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 第986話:皇室と大麻


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>







 
 
 

3件のコメント

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tootake
1日前
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天白磐座遺跡:静岡の隠された古代の神秘

「天白磐座遺跡(てんぱくいわくらいせき)」、この名前を聞いたことがありますか?静岡県浜松市、自然豊かな引佐町(いなさちょう)の井伊谷(いいのや)という、風情ある地域に、それはひっそりと佇んでいます。ここは、まるで神々が宿るかのような、巨大な岩が幾重にも連なる古代の祭祀場なんです。静岡県指定の史跡ともなっており、その神聖さがうかがえますね。

巨石に宿る、古代の息吹

この神秘的な遺跡が、祭祀の場として確認されたのは1988年(昭和63年)。そして、翌年の1989年(平成元年)には、詳しい発掘調査が行われました。そこで見つかったのは、驚くべき発見の連続でした。西・東・北に配置された巨大な磐座(いわくら)を中心に、古墳時代前期後葉から平安時代中期にかけて使われた、たくさんの土器、勾玉、鉄の武器…。これらの祭祀遺物が、まるで当時の人々の祈りをそのままに、静かに眠っていたのです。想像するだけで、古代へのロマンが掻き立てられますね。

特に興味深いのは、この遺跡が、神宮寺川が井伊谷に流れ込む要衝に位置していることから、「水分(みくまり)祭祀」の性格が指摘されている点です。つまり、豊かな水をもたらす神様への祈り。古の人々が、自然の恵みにいかに感謝し、畏敬の念を抱いていたかが伝わってきます。なんだか、遠い昔と今が繋がるような、不思議な感覚になりますね。

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tootake
1日前
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