観音信仰と台与(8)金剛院 :摂津市味舌
- tootake
- 3月28日
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更新日:3月29日
第635話 #真舌媛 #ウマシマジ #細姫(くわしひめ)
金剛院(こんごういん)は、大阪府摂津市千里丘にあります。味舌寺(ましたでら)、蜂前寺(ぶぜんじ)とも呼ばれています。摂津名所図会に、天平勝宝年中(749年 - 757年)に、行基*が紫雲霊光を目指してこの地に至ると、老翁から精舎を建てなさいと示され、行基自ら薬師如来を彫刻し、放光山昧舌寺と号したの言い伝えがあります。
*ここでもまたもや行基が登場してきました。は毎回のこのブログの観音信仰と台与シリーズに登場しています。~前回の観音信仰と台与(7)~慈愍山観音寺(千葉)
、鶴林寺(第632話)、野崎観音(第630話)・嵐山(第629話)の宝輪寺の堂塔を建てたのも行基です。行基は、台与(豊)と同じように大阪南部に多くの農業用のため池をつくりました。~大阪と邪馬台国:美木多(堺市南区)
この金剛院のすぐ近くにある須佐之男神社(大阪府摂津市千里丘3丁目15-15)の由緒書きに味舌上という地名が書いてあります。付近の地図には「味舌上(マシタカミ)と味舌下」の地名があります。味舌(マシタ)は古くは“ウマシタ”と発音したと考えられています。ウマシとは“良い”を意味します。
第456話:ウマシマジは台与!で書いたように、先代旧事本紀には、ウマシマジの誕生譚が書かれており、饒速日は生まれてくる子が「男であれば、味間見命(ウマシ・マミ)、もし女であれば色麻弥命(シコ・マミ)と名付けなさい」と言ったそうです。男女どちらにしても名前はマミ(間見→馬見)です。福岡県嘉麻市には馬見神社があり、祭神は天津彦火瓊々杵尊(ニニギ)です。この神社は遠賀川の上流で物部氏と関係が深い地です。ニニギはすでに台与としています。瓊瓊杵尊:ニニギは台与(第436話)です。魏志倭人伝では卑弥呼の後継ぎは台与と書いてあるので、台与が邪馬台国(倭国:ヤマト)の継承者である筈です。それがニニギ=台与です。
味舌上(ました・かみ)は、味古上(みこがみ・巫女神)と呼ばれていたという説もあります。そして巫女神とは豊受大神を差したものともされています。~大神木神社 - Wikipedia
・味舌(ました)は、孝霊天皇妃の細姫(くわしひめ)=真舌媛(ましたひめ)の「ました」です。孝霊天皇妃は日本書紀は磯城県主の大目の娘とされ、古事記事記では十市県主の祖の大目の娘である細比売としています。日本書紀第1の一書で孝霊天皇の皇后は春日千乳早山香媛(かすがのちちはややまかひめ)であり、第2の一書では十市県主等の祖である真舌媛(ましたひめ)としています。細姫(くわしひめ)=真舌媛(ましたひめ)も台与です。
金剛院は、賊徒の蜂起に村民が防げないでいると殿内より数千の蜂が出現して退治してくれた。これにより霊蜂山蜂前寺と改めたとされています。蜂といえば、広隆寺(こうりゅうじ)です。広隆寺の山号は、蜂岡山です。広隆寺は東映太秦映画村で有名な太秦にありますが、創建当初からこの地にあったものかどうかは不明で、平安遷都前後に現在地に移転したという説が有力です。創建当初は弥勒菩薩を本尊としていたが、平安遷都前後からは薬師如来を本尊とする寺院となり、薬師信仰と共に聖徳太子信仰を中心とする寺院となっています。
・千里丘の金剛院の本尊も薬師如来です。
・広隆寺は秦氏との関連が深い寺院です。hidemaru3375.com/post/台与と秦氏
・広隆寺の本尊は、聖徳太子は台与です。~第540話:広隆寺と聖徳太子立像
このブログは、台与(豊)が姿を変えて民間に広く信仰されていることを述べてきました。同じように民間で広く信仰されている観音様も台与(豊)がもとになっているのではないかと思いこのシリーズを開始したのですが、どうやら台与を観音菩薩としたのは行基だけだったようです。
◎今回のまとめ
・摂津市千里丘には、味舌という地名がある。
・味舌は孝霊天皇妃の真舌媛の名前の由来と思われる。
・味舌はウマシタとも読めることから、ウマシマジ(饒速日の子)との関連があるのかもしれない。ウマシマジは台与で、饒速日(にぎはやひ)も台与です。
・味舌は、舌は古と字が似ているため、元々は味古上(みこがみ)かもしれない。
・みこがみ(巫女神)は、豊受大神(豊受姫)=台与と思われる。
・千里丘にある金剛院(こんごういん)、味舌寺(ましたでら)、蜂前寺(ぶぜんじ)は京都太秦にある広隆寺(蜂岡寺)と関係があるのかもしれない。
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<蛇足の追記>
・行基の母親は、河内国大鳥郡の蜂田首虎身の長女です。
・千里丘は、第624話:大阪と邪馬台国:正雀(摂津市・吹田市):で書いたように私が生まれ育ったところです。
・細姫(くわし姫:孝霊天皇妃)の「くわし」とは「おへそ」のことです。
<観音信仰と台与>
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??としています。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
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継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語