top of page

軽野神社:山の中の造船所

  • tootake
  • 2 日前
  • 読了時間: 7分

第1103話


前回:邪馬壱国に至る 水行十日、陸行一月では、応神天皇(=台与)は「枯野」という船は高速船を持っていたことを書きました。


日本書紀には、「由船輕疾名枯野、是義違焉、若謂輕野後人歟」とあり、「枯野」は「軽野」がったもので本当は「軽野」が正しいとしています。


静岡県伊豆市に軽野神社がありここで、高速船「軽野」は造られたとされ、軽野神社は日本最古の造船所(跡)とされています。


軽野神社の周囲は、船材に適したケヤキやスギなどを豊富に産する天城山系です。大型の木造船を造るのに必要な木材が豊富にあり、完成した船は直ぐ近く流れ込む狩野川があり、駿河湾にすぐに出ることができます。


この軽野神社の周辺(伊豆半島の西海岸から南海岸にかけて)には、重須(おもす)、木負(きしょう)、久連(くづら)、古宇(こう)、久料(くりょう)、宇久須(うぐす)、安良里(あらり)、子浦(こうら)、妻良(めら)、田牛(とうじ)など難読地名があります。


これらの地名は、太平洋南方の海洋民族ポリネシア人に由来するとする説があります。

北赤道海流と日本海流(黒潮)に乗って南から漂流してきたポリネシア人たちが、日本列島から太平洋に突き出した伊豆半島に漂着し住み着いたというのです。

中伊豆地方には、上白岩(かみしらいわ)遺跡など縄文時代の遺構も点在しています。


東京商船大学(現東京海洋大学)の茂在(もざい)寅男名誉教授は、古事記や日本書記に記述されている奇妙な固有名詞の謎を、古代ポリネシア語に由来するものとして考察しておられます。

もしもポリネシア人たちが造っていた船を「カヌー」と呼んでいたのであれば、それが官船を「枯野(からの、かるの)」、建造した地域を「狩野(かのう)」、そこを流れる川を「狩野(かの)川」とした語源かもしれないとの推測が生まれます。ところが「カヌー(canoe)」を調べてみると、それはカリブ海の先住民族の言葉「カノア(canoa)」がヨーロッパに伝えられたものであり、南太平洋に住んでいたポリネシア人とは関係ないようです。

{参考文献}日本最古の造船所跡「軽野神社」と古代船「枯野」信州大学名誉教授 伊藤 稔


その後、朽ち果てた官船(みやけのふね)枯(軽)野は焼かれ、その際に海水を蒸発乾固させて得た五百籠(かご)の塩を諸国に配布し、五百隻の船を献納させたといいます。

しかし、それらの船が武庫水門(むこのみなと:兵庫県武庫川周辺)に集合しているとき、 新羅の使者の船からの失火による延焼で多くが 焼失してしまいます。そのため、天皇は新羅人を責めた。これを聞いた新羅王は大いに恐れ驚き、その償いに優秀な工匠(たくみ)を献じた。これが猪名部(いなべ)の始まりであるといいます。


この話は、「新羅王は大いに恐れ驚き」などとあることから作り話であると思われます。しかし、猪名部がでてくるところがポイントです。猪名部(もしくは「為奈部」)とは、木工技術をもって大和朝廷に仕えた渡来人たちによる職業部で、造船だけでなく、宮殿建築にも大変優れていた技術集団です。奈良の東大寺の大仏殿を建立したのは猪名部とされています。


第39話:御牧入彦(崇神天皇)はイニエ(猪名)では、崇神天皇の和風諡号である御間城入彦五十瓊殖(ミ・マキ・入彦・イニエ)*の五十瓊殖(イニエ)は、猪名川町(イナ川)のイナに由来していることを書きました。   ina :イナは音韻の法則から inie:イニエに変換するのです。*御間城入彦五十瓊殖(ミ・マキ・入彦・イニエ)はミマキ・入彦ではありません。ミ・マキ・入彦です。~第13話:古代史研究者の勘違い ~枚方市牧野

ちなみに猪名川町では、銀が採れます。~第966話:多田銀銅山~猪名川町


崇神天皇は、御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)で神武天皇は、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)です。つまり、神武天皇=崇神天皇=大和(邪馬台国)の初代大王である台与ということです。


そして、軽野の「軽」は台与のことです。~第1026話:軽は台与~軽の酒折池・軽井沢


第674話:伊豆・出石・出雲では伊豆と台与の関係を書きました。


伊豆や駿河湾周辺には、ヤマトタケル(日本武尊)の東征(東国征伐)にまつわる非常に有名な伝説や地名の由来が数多く残されています。

特に駿河湾沿岸は、ヤマトタケルの生涯における最大のクライマックスの一つである「火攻めの難」の舞台として知られています。

ほかにも古事記や日本書紀に、ヤマトタケルが駿河の国造(現地の大豪族)に騙され、野原で火攻めに遭ったエピソードがこの地域に集中しています。

  • 焼津(やいづ)の由来と焼津神社

    • 伝説: 賊に周囲の草を囲まれて火を放たれたヤマトタケルは、伊勢神宮で叔母の倭姫命から授かった剣で草を薙ぎ払い、迎え火を点けて逆に賊を退治しました。

    • 由来: 賊を焼き滅ぼした(あるいは野が焼けた)ことから、この地が「焼津」と呼ばれるようになりました。

  • 草薙(くさなぎ)の由来と草薙神社

    • 伝説: 火攻めの際、ヤマトタケルが草を薙ぎ払ったあの有名な剣が、のちに三種の神器の一つとなる「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」と呼ばれるようになりました。

    • 地名: 静岡市清水区には「草薙」という地名や、ヤマトタケルを祀る草薙神社があります。

  • 日本平(にほんだいら)の由来

    • 伝説: 駿河の賊を平定したヤマトタケルが、有度山(うどやま)の山頂に登り、四方の国々を眺めて勝ちどきをあげたという伝説が残されています。

    • 由来: 尊(みこと)が佇んだ平らな山頂であることから「日本平」と名付けられました。

伊豆半島側にも、東征の途中で立ち寄ったとされる足跡や、彼を祀る神社が存在します。

  • 熱海・来宮神社(きのみやじんじゃ)

    • 古くから伊豆は造船の拠点(古代の軍船を造る木材の供給地など)でもあり、ヤマトタケルが東へ渡るための船団を整えた伝承と結びついています。熱海の来宮神社には、大国主命らとともにヤマトタケルが御祭神として祀られています。

駿河での危機を脱したヤマトタケルは、現在の神奈川県(走水)から千葉県(房総半島)へと駿河湾・相模湾の先を船で渡ろうとします。

  • 弟橘媛(おとたちばなひめ)の入水伝説

    • 船を出したところ、海神の怒りによって海が大荒れになり、進めなくなってしまいます。このとき、ヤマトタケルの妃である弟橘媛が「夫の身代わりに海の神の心を鎮めます」と言い残して自ら激流の海へ身を投じました。するとたちまち波は穏やかになり、ヤマトタケルは東国へ渡ることができたという切なくも有名な伝説です。

このように、駿河湾周辺は「焼津」「草薙」「日本平」など、現代の私たちが耳にする地名そのものがヤマトタケルの伝説から誕生した、まさに神話ゆかりの深いエリアとなっています。


ヤマトタケルは台与です。~ヤマトタケルは台与 


これまでの記事はこちらです。


{広告}

本能寺の変、秀吉の中国大返しを描く、娯楽超大作、絶賛発売中!! 200円です。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>






 
 
 

3件のコメント

5つ星のうち0と評価されています。
まだ評価がありません

評価を追加
ゲスト
2日前
5つ星のうち5と評価されています。

咸古神社

いいね!

秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
2日前
5つ星のうち5と評価されています。

皆さん、こんにちは。「地名から読み解く邪馬台国」へようこそ。前回、応神天皇(=台与)が所有していたとされる「枯野」という高速船について触れましたね。実はこの「枯野」は、ある場所の地名が語源だった可能性があるんです。

日本最古の造船所跡?

静岡県伊豆市には「軽野神社」という場所があります。日本書紀に記された枯野船は、実はこの軽野で作られたという説。周囲に広がる天城山系の豊かな木材と、狩野川という物流経路が、まさに大型木造船を造るのにうってつけの環境だったようです。

古代の海洋民族との繋がり

さらに不思議なのは、この周辺に並ぶ数々の難読地名です。これらがポリネシアの言語に由来するという説があるのをご存知でしたか?古代人が黒潮に乗ってこの地にたどり着いた、そんな壮大なロマンがこの伊豆には眠っているのです。

いいね!

秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
2日前
5つ星のうち5と評価されています。

<台与シリーズ>

hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)

https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)

https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与

https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇

https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??

https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山

hidemaru3375.com/post/台与と秦氏  敏達天皇は台与(豊) 

衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!

孝昭天皇は台与:日原は目原  飯豊王女は台与(トヨ)なのか?

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ    大宜都比売(おおげつひめ)は台与 

倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??  神八耳命は台与(豊)

饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作  台与は饒速日②~交野市倉治

小楯姫は台与:小楯は枚方   四道将軍:日子坐王は台与!

少彦名大神(スクナヒコ)は台与!  大彦は台与!??

ウマシマジは台与!    阿蘇都媛は台与

沼河比売は小楯姫=台与  タケミカヅチは台与!!

ヤマトタケルは台与  瓊瓊杵尊:ニニギは台与

継体天皇はトヨ(台与)??!  継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社

継体天皇は台与3~田井(寝屋川市)  英彦山と台

いいね!
bottom of page