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大興善寺~基肆郡(肥前風土記)

  • tootake
  • 2 日前
  • 読了時間: 4分

第997話


第995話:浮穴沫媛~肥前国風土記では、珂是古(かぜこ)なる人物が登場しました。

そして珂是古は、物部阿遅古で、台与の父親(もしくは祖父)と思われるスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米であるとも書きました。


そして、鳥栖市基里町姫方には姫古曽神社があるとも書きました。姫古曽神社は、九州から

近畿にかけていくつもあります。比売碁曾神社の祭神は下照姫=台与です。


この辺りは、基肆郡(きのこほり)と呼ばれていました。基肆郡の地名の由来として肥前風土記には次のように書かれています。


昔、纏向日代宮御宇天皇(景行天皇)が巡狩した時、筑紫国御井郡高羅の仮宮から国内を遊覧し、霧に覆われた基肆の山を見て「この国を霧の国と呼ぼう」と勅した。これが後の人によって基肆国(きのくに)と呼ばれるようになった。今は郡名となっている。


古事記、日本書紀にかかれている地名の由来は、たいていでっち上げの嘘です。

基肆郡(きのこほり)の「木」は紀州=和歌山のことです。和歌山=紀ノ國は木の国で。ウツシコオの出身地(名草)であることは以前書きました。

第97話:忌部氏(彦幸)~和歌山・名草 第590話:彦狭知(ヒコサチ)の物語2~珍彦(ウズヒコ) 横組.indd←私以外の人も名草について書いています。


基肆郡は、基山町です。この基山町には、大興善寺(佐賀県三養基郡基山町園部)という古刹があります。


奈良時代 養老元年(西暦717年) 奈良時代の高僧 行基菩薩がこの地を訪れ、一刀三礼にて、ご本尊十一面観世音菩薩を彫刻、安置されたのが寺の始まりと伝えられています。


行基は、このブログでは何度も登場しています。このブログは、邪馬台国が大阪府枚方市であることを証明するために書き続けています。卑弥呼の後を継いで、邪馬台国の大王(おおきみ)となった台与の後をたどっているうちに様々な地で行基に出会いました。


行基が建てた寺のある地には、スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)、台与の痕跡があるのです。


基肆郡(基山町)の北が福岡ですが、途中に大宰府があります。この大宰府は、魏志倭人伝に出てくる一大卒との関係が注目されています。


前回:伊都国は台与の国:伊豆神社:遠賀郡 では、伊都国の伊都は稜威で、台与のことです。と書きました。第77話:伊都国 一大率は五十猛(饒速日) 

では、一大卒とウツシコオとの関係を書きました。


次回では、大宰府もスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、台与との関係を探る予定です。


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>










 
 
 

2件のコメント

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tootake
2日前
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「霧の国」の謎に迫る!肥前風土記が語る基肆郡の由来とは?

古代の神秘、基肆郡の地名に隠された秘密を紐解く旅へご案内します。

皆さん、こんにちは!歴史のロマンを追い求める旅は、いつも新しい発見に満ちていますよね。今回は、そんな私の心を捉えて離さない、古代日本の地名にまつわる fascinating なお話をお届けしたいと思います。特に、あの有名な『肥前国風土記』に記された「基肆郡(きのこほり)」にまつわるエピソードは、まるでタイムスリップしたかのような感覚にさせてくれるんですよ。

『肥前国風土記』が明かす「霧の国」の起源

『肥前国風土記』って、本当に興味深い記述が多いですよね。今回ご紹介する「基肆郡」の地名の由来は、なんと景行天皇が巡狩されていた時のエピソードにさかのぼるんです。天皇が霧に覆われた山を見て「この国を霧の国と呼ぼう」と勅された、というお話。想像するだけで、その神秘的な光景が目に浮かびます。そして、それがやがて「基肆国(きのくに)」、そして今の郡名へと繋がっていくなんて、ロマンがありますよね。

古代の人物相関図に迫る

このブログ記事では、さらに踏み込んで、物語に登場する人物にも触れています。例えば、珂是古(かぜこ)という人物。これが物部阿遅古(もののべのあじこ)であり、台与(とよ)の父、あるいは祖父とも考えられるスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米(なすそね)ではないかと推測されているんです。古代史好きなら、この名前を聞くだけでワクワクしませんか? その周辺には、姫古曽神社(ひめこそじんじゃ)といった、神秘的な名前の神社も点在しているんですよ。

姫古曽神社の祭神は、なんと下照姫=台与!

『肥前国風土記』の記述は、私たちが知る『古事記』や『日本書紀』とはまた違った視点を与えてくれます。特に、地名の由来に関する記述は、時に「でっち上げの嘘」だとバッサリ。こういう辛口な分析を聞くと、歴史の深みを感じずにはいられません。どうしてそう断言できるのか、その根拠は記事で詳しく解説されています。

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tootake
2日前
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