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伊豆美神社~東京都狛江市

  • tootake
  • 2025年5月11日
  • 読了時間: 6分

更新日:2025年5月12日

第679話 #多摩川は木津川 #狛は高麗


第674話:伊豆・出石・出雲伊豆・出石・出雲の地名の元となったのは、山背国(京都府)相楽郡の伊豆美(いずみ:水泉)であると書きました。誰もこんな話を信じないと思いますので、証明してみます。


伊豆美神社が、東京都狛江市中和泉にあります。祭神は、大国魂大神(大国主)です。

伊豆美神社がある狛江(こまえ)の狛とは、高麗人という意味です。この辺りには、古代の高麗人が住んでいたとされています。狛については、新撰姓氏録に「狛首(おびと)、高麗国安岡上王より出ず」とあります。江をつけたのは、多摩川江(べり)にいたからです。


東京都の伊豆美神社の近くには多摩川が流れています。延喜式には多麻郡の字であらわれ、のちには多磨郡とも表記され、「たま」「たば」と読まれたことから、地名の由来は、丹波が転訛したもの、かつて麻が多い地域であったという伝承があります。丹波は、私が投馬国とする地でウツシコオ、台与の拠点地です。また麻産業は秦氏と深い関係があります。

秦酒公(はたのさけのきみ)が大量の絹織物を朝廷に献上したことが記されています。 その際、 絹を「うず高く積み上げた」ことから「禹豆佐(うずまさ)」の姓が与えられています。~hidemaru3375.com/post/台与と秦氏


この狛江市近辺の寺社を調べてみました。

・喜多見 氷川神社: 東京都世田谷区喜多見

祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、 天照大神 、 稲田姫命です。

*稲田姫は、スサノオの妻とされる櫛名田比売(クシナダヒメ)です。櫛はクシ(尊称)でクシ・イナダ姫=クシ・稲田姫です。

天平十二年(740)の創建、延文年間(1356~60)に宮殿大破し、ついで多摩川洪水のため古縁起・古文書など流失して詳細は明らかではありませんが、古く多摩川岸に近いところにあったという。

・小野神社: 東京都多摩市一ノ宮

安寧天皇時代の創建と伝えられ武蔵国開拓の祖神である天下春命(あめのしたはるのみこと)瀬織津比咩命(せおりつひめのみこと)を主神としています。瀬織津比咩命は台与です。

・大國魂神社は大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)を武蔵国の守り神としているた神社です。〒183-0023 東京都府中市宮町

大國魂大神は、大国主神と同神で、武蔵国を開かれて、人々に衣食住の道を教えられ、

又医療法やまじないの術も授けられたとされています。

・光明寺~東京都大田区鵜の木、創建天平年間(729年 – 749年)開山は行基

天平年間(729年 – 749年)、行基によって開山されています。

・龍厳寺~神奈川県川崎市多摩区堰 行基創建とも慈覚大師創建とも伝えられている。阿弥陀堂の阿弥陀如来は行基作とされています。

ここでまた行基が登場します。このブログでは、台与の居たと思われる場所には必ずと言ってよいほど行基が登場します。行基は大阪府の南河内で溜池を数多くつくるなど土木工事の達人です。~観音菩薩と台与(9)~高浜神社・常光円満寺:吹田

この辺りに行基が登場するということは、多摩川が頻繁に氾濫したからです。


そして京都府相楽郡の伊豆美であった地には、現在、JR奈良線の上駅があります。〒619-0204 京都府木津川市山城町上狛北野田芝。

上狛(かみこま)は渡来人狛氏の居住地で居住地を含む東西430m、南北420mの環濠集落がありました。上狛駅の駅の近くには木津川が流れており、木津川を下れれば、難升米=スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)の墓とされる椿井大塚山古墳があり、京都府京田辺市の天王*という地名もあります。枚方・交野市に近く、木津川は邪馬台国の重要な輸送手段です。~第16話:木津川は高速道路

狗奴国ではないかと思われる恭仁(くに)京もこの近くです。~山背国相楽郡(現在の京都府木津川市加茂地区)~第366話:狗奴国と女王国 

*天王とは素戔嗚(スサノオ:牛頭天王)のことです。


天王山の麓で木津川、淀川、桂川が合流地点に内里(京都府八幡市内里)をヤマト(邪馬台国)の一大拠点地にしたために内(ウチ)の男、すなわち内色許男(ウツ・シコオ)と呼ばれてようになったのです。

<まとめ>

・伊豆という固有名詞が、人物名としてつけられている。~第674話:伊豆・出石・出雲

伊豆速布留神、伊豆豊益命、出早雄命(いずはやおのみこと:伊豆速男神)

伊都速比売命、伊志波夜比売命。これらの人物はすべて台与と思われます。

・伊豆美は山代の地名です。山背国(京都府)相楽郡:水泉

・山城相楽郡は邪馬台国の重要拠点です。~彦狭知の物語(11)~椿井大塚山古墳

・伊豆美は多摩にもあった。多摩も山代も高麗の人々が住んでいたという伝承があり、高麗は、ウツシコオ、台与のことです。

・台与は、多摩川の河川工事を行って稲作を推進したと思われ、行基も多摩川の河川工事を行うためにこの地に寺を建てたのでしょう。

・台与(秦氏)も行基も土木工事の達人です。~hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 

・上記より狛江市(多摩)と山代は密接な関係があることがはっきりわかります。

・山城も多摩も邪馬台国の一部です。邪馬台国は日本全体なのです。狛造、狛首、狛宿禰などの地名は日本各地にあり、高麗帰化族がすんでいたところです。

日本列島に居住する帰化高句麗氏族の代表的な氏族名kokuryo

高麗帰化族とは、ウツシコオ、台与の一族(家臣団)です。


私は、本日このブログを書くまでは多摩川、狛江市や、そこにある神社のことなど一切知りませんでした。伊豆が台与であること、伊豆美が京都府山城であることから、狛江に伊豆美神社があることから、狛江と山代の関係をつきとめたのです。逆に言うと狛江と山代が深い関係にあるあるということは、伊豆が台与であり、出雲、伊豆半島、出石の地名の由来になったと言えるのです。


<木津川周辺にある邪馬台国>


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>


        





 
 
 
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