観音菩薩と台与(3)~寂光寺:野崎観音:江口の君
- tootake
- 3月23日
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更新日:3月24日
第630話
寂光寺は、大阪市東淀川区南江口にあります。この江口の地は、古代より大阪と京都との水運の要衝です。山陽道と南海道が分かれる交通の要衝でした。そのため、この地は、大いに賑わい、また多くの遊女がおり、平安・鎌倉時代には、有名な公卿等も訪れた記録が残っています。当寺は江口君堂とも呼ばれています。大江正房の「遊女記」には、「蓋し天下第一の楽地也」と記され、東三条院の住吉詣での際には、藤原道長が江口の名妓 小観音を寵愛したそうです。
その江口にある寂光寺の本尊は、曼荼羅(十界大曼荼羅)です。これは現在日蓮宗にの寺だからで、元々は、普賢菩薩でした。赤松丹波守(赤松氏は播磨の武家)が重態の折、元弘の乱、延元の乱で焼失して焼け残った当寺の普賢菩薩像に手を合わせたという記録があります。
江口の君と呼ばれる美しい遊女がいました。その美しさは衣通姫*の再来とされるほどです。*衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊)です。
江口の君は、平資盛(たいらのすけもり)の息女の妙であったとされています。
平家が没落後、乳母の郷里であったこの東淀川の当地に身をよせることになりますが、歳月が過ぎると遊女に身を落とすことになり、江口の君と呼ばれるようになります。仁安2年(1167年)西行法師が天王寺に参拝の途中にこの地を通り、にわか雨に遭い、江口の君に雨宿りの許しを願いましたが断られます。法師が歌を詠んだところ、江口の君も詠み返し、ついに歌を楽しみながら一夜を明かしたといわれています。
後に、江口の君は仏門に入り、妙前光相比丘尼(たえのまえこうそうびくに)と名を改め、元久2年(1205年)にこの寂光寺を創建したと伝わります。
この江口という地は、台与(豊)と非常に関係が深い場所なのです。
第622話:大阪と邪馬台国:大桐(だいどう)・豊里:は次のように書いています。
豊里や大隅は、いずれも台与(豊)に関係があるとわれる地名です。大隅=大住は貴人が住む場所ということはすでに書きました。~第307話:大隅隼人は京都府京田辺市
スミ(墨、住)は皇族が住んだ場所という意味です。例えば、京都府京丹後市大宮町久住は億計(オケ)・弘計(ヲケ)兄弟が住んだため皇住といわれそれが久住になったと言います。「神武天皇と卑弥呼の時代」佐藤洋太著p160
第512話:コワクビの断間~千林(大阪市旭区)では、大枝は太子(聖徳太子)ということを書きました。太子橋の対岸が豊里(〒533-0013 大阪府大阪市東淀川区)です。太子=聖徳太子=台与(豊)のことです。豊里町はかつて聖徳太子(豊里太子=台与・豊)が寺院を建てるためここで休息されたと伝えられています。
寂光寺の近くにある大隅神社(おおすみじんしゃ:大阪市東淀川区)の祭神は、応神天皇、別雷大神、天児屋根命、市杵島姫神、伊邪那美神、天照皇大神、素盞鳴尊、大山咋神、豊受毘売、神菅原道真公、宇賀御魂神です。大隅島に応神天皇の離宮・大隅宮があり、天皇の崩御後、里人が祠を建て帝を奉祀し、後に淀川が氾濫した時に賀茂明神の御神体が漂着して合祀したとされています。応神天皇、別雷大神、市杵島姫神、豊受毘売(豊受大神)、宇賀御魂神は台与(豊)です。天児屋根命、素盞鳴尊、大山咋神はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)です。~hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇、阿曇磯良は天児屋根命、秦氏と大山咋神
<西行と歌問答>
江口の君(妙女)と西行法師の歌問答が知られています
「世の中をいとふまでこそ難からめ 仮の宿りを惜しむ君かな」
遊女妙はすかさずに 次の歌を返した。
「家を出づる人とし聞けば仮の宿に 心留むなと思ふばかりぞ」
「出家に比べたら宿を貸すなどたやすいことなのにそれすら惜しむのか」と詠んだところ、妙から「出家者と思えばこそ、このような宿に心を留めてはいけないと思ったのだ」と返された、というものです。
そして、ここからかなり離れた大東市には関西人には有名な野崎観音(慈眼寺)があります。この野崎観音でも江口の君を同寺の中興の祖としており、慈眼寺本堂の隣りには「江口君堂」があります。お寺の人によると、この「江口の君」は東淀川区の寂光(江口君堂)と一人物です。
野崎観音も縁起は古く、天平勝宝年間(749年~757年)に行基*が本尊の十一面観音像を自刻し、安置したのを開基とします。
・野崎観音は第629話:観音信仰と台与(2)~法輪寺:で書いた十三参りで有名です。
*嵐山の宝輪寺の堂塔を建てたのも行基です。行基は、台与(豊)と同じように大阪南部に多くの農業用のため池をつくりました。~大阪と邪馬台国:美木多(堺市南区)
・野崎観音は、第621話:で書いたhidemaru3375.com/post/大阪と邪馬台国:岸和田(門真市)深野池(ふこのいけ:河内湖のなごり)のすぐ近くです。
・江口の君は、台与がこの辺りにいたという大阪の人の微かな記憶(なごり)なのでしょう。
野崎小唄:東海林太郎)などで野崎観音は大阪の人には非常に親しまれています。
北河内の遊び歌において「野崎観音十六羅漢、うちの親父は働かん」というのもあります。
この付近にある邪馬台国の記事
寝屋川市
守口市
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??としています。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

大阪市東淀川区:東淀川区の名所・旧跡 (区の紹介>区の名所・旧跡)
古代律令制時代以来、典薬寮(てんやくりょう:朝廷で医薬を取り扱っていた官省)に所属していた牛牧「味原牧(あじふのまき)」がありました。「味原牧」は、摂津市の味原(あじふ)の地から淀川が分流する江口の下流部(現在の南江口・大桐・大道南あたり)に分布していたといわれ、乳牛を飼育していたことから「乳牛牧」と呼ばれていました。
和歌山県神社庁-紀道神社 きどうじんじゃ-
髪長姫(かみながひめ)とはどういう人物か。都城との関係を知りたい。 | レファレンス協同データベース
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
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ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
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とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語