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沼河比売(ぬなかわひめ)

更新日:3月21日

第262話


沼河比売(ぬなかわひめ、奴奈川姫)は、古事記では沼河比売、先代旧事本紀では高志沼河姫(こしのぬなかわひめ)と表記されます。

古事記の大国主の神話の段に登場します。八千矛神(大国主)が高志国の沼河に住む沼河比売を妻にしようと思い、高志国に出かけて沼河比売の家の外から求婚の歌を詠んだ。沼河比売はそれに応じる歌を返し、翌日の夜、二神は結婚しました。新潟県糸魚川市に残る伝承では、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神です。


 新潟県糸魚川及びその周辺地域では質の高いヒスイ(翡翠)が採れます。

万葉集に詠まれた「渟名河(ぬなかは)の 底なる玉  求めて 得まし玉かも  拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも」(巻十三 三二四七 作者未詳) の歌において、「渟名河」は現在の姫川で、その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」はヒスイ(翡翠)を指していると考えられ、沼河比売はこの地のヒスイを支配する祭祀女王であるとみられます。古語の「ぬ」には宝玉の意味があり、「ぬなかわ」とは「宝玉の川」という意味です。姫川の姫は沼河比売(ヌナカワヒメ)のことでしょう。


私の考えでは、大国主は大彦です。大彦の墳墓と思われるメスリ山古墳(奈良県 桜井市)からは玉石製品では翡翠の勾玉、碧玉の管玉、貝輪を真似た 石製の腕輪類、ミニチュア化した石製の椅子、櫛、内行花文鏡・三角縁神獣鏡の破片、石釧(いしくろ)・鍬形石・車輪石・椅子形石製品・櫛形石製品、石製 合子(ごうす)などと玉類などが出土しています。


第二代綏靖天皇は神渟名川耳天皇(かんぬなかわみみのすめらみこと)です。

そして大彦の子は武渟川別(たけぬなかわわけ)です。このことにより、綏靖は大彦でその子の武渟川別は建御名方神だということがわかります。


建御名方神は国譲りの際に建御雷神と決闘して敗れ、諏訪まで逃げ諏訪大社の祭神になったとされています。姫川をさかのぼれば諏訪の地に入ります。この伝説は姫川で翡翠が採れたことから発想を得て作られたものでしょう。


大彦命をは四道将軍の一人として北陸に派遣されその子の武渟川別は東海に派遣されたことになっていますが、この話も信用できません。武渟川別の母はどこを調べても書いてありませんし、武渟川別の事跡もほとんどありません。大彦が新潟県糸魚川市に翡翠を採りに行ったのだけが本当の話でしょう。建御名方神は南方刀美神と表記するのが正しく、南方は大阪湾から河内湖(淀川)に入る海峡の要所です。南方刀美神(タケミナカタ)鴨族でもトップ地に近い存在です。大彦も鴨族です。


     


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。




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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
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大国主の末裔

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秀丸 遠嶽
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19 de mar.
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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
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高皇産霊尊は大物主神に「もし国神を娶れば、お前には謀反の心があると思ってしまう。だから、私の娘の三穂津姫(みほつひめ:御保津姫)をお前の妻とさせたい。八十万の神々を率いて、永遠に皇孫(すめみま)を守護し奉れ」と勅して、下界に帰り降らせた。

高皇産霊尊はウツシコオ(孝元天皇の宰相)です。この場合は大物主は孝元天皇(饒速日)で、御保津姫が玉櫛姫でです。

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