top of page
  • tootake

射楯兵主神社~姫路

更新日:1月5日

第184話


前号で書いたように、福岡県糸島郡誌には、「日槍はイツツヒコ(五十迹:イトテ)の祖となり、、」とされています。果たしてこれは本当でしょうか。私は、イツツヒコ(五十迹:イトテ)五十猛は饒速日だと思っています。


姫路に射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)があり、祭紳は射楯大神(五十猛尊)と兵主大神(伊和大神、大国主命)です。この兵主神が天之日矛ではないかとされるのは、上垣内先生です。天之日矛の伝承を持つ地域に兵主神社は、建てられています。上垣内先生は、天之日矛は、鍛冶・金属精錬に関する神であると指摘されておられます。

そしてこの姫路の地は播磨(針間)の太田なのです。


播磨国風土記には、こんな記述があります。

「太田と称するわけは、昔、呉の勝(スグリ)が韓の国から渡ってきて、はじめ紀伊の国(和歌山)の名草の郡の太田の村に着いた、その後、分かれて摂津の国の三島の賀美の太田の村に移ってきて、それが揖保※の太田の村に移住して来た。これは元居た紀伊の国の太田をとって里の名とした。」


※揖保は、たつの市の大部分(新宮町奥小屋を除く)、姫路市の一部(網干区各町・大津区各町・勝原区各町・余部区各町・林田町各町・相野・石倉・太市中・西脇)、相生市の一部(那波野)揖保乃糸=素麺で有名


伊太祁曽神社あるいは、五十猛神社は和歌山以外にも、島根、鳥取にいくつかあります。

伊太祁曽神社に五十猛を祭った人々は、魏志倭人伝に出てくる伊都国出身の鏡造りの技術者だと思われます。


射楯兵主神社のように射楯大神(五十猛尊)と兵主大神(伊和大神)と同時に祭られているということは、五十猛と兵主大神は仲が良かったということです。兵主大神は大国主とする神社もあります。私の考えでは、五十猛は饒速日=孝元天皇で、大国主=大彦ですから、二人は親子ということになります。とすると天之日矛が消えてしまいます。


呉の勝(スグリ)が韓の国から渡ってきてというのは、おそらくは朝鮮半島の北部、公孫氏支配下の楽浪あたり来たものと思われ、その集団が天之日矛であり、スサノオ(孝霊天皇)とも関連しているのだと私は思います。


※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。



射楯兵主神社の近くにある姫路城


閲覧数:56回1件のコメント

最新記事

すべて表示

1 Comment

Rated 0 out of 5 stars.
No ratings yet

Add a rating
tootake
Dec 23, 2023
Rated 5 out of 5 stars.
Like
bottom of page