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塗り矢伝説~邪馬台国異聞11

第136話


真下姫こと市杵島姫が素戔嗚(孝元天皇)に嫁いだ話をモデルにしたと思われる話が他にもいくつかあります。


塗り矢伝説は、美しい活玉依姫(イクタマヨリヒメ)のもとに夜毎立派な男性が通ってきて、やがて姫は妊娠します。姫の両親は不思議に思って姫に問いますが、姫は「姓も名前も知らない」と言うので、両親は姫にその男性の衣の裾に糸のついた針を刺しておくように教えます。やがて、夜になると男性は現れ、翌朝、帰っていきます。見ると、衣の裾につけた糸は戸の鍵穴を通って外に出ており、残った麻は三勾だけでした。糸をたどると三輪山の社のところで留まっており、そこで毎夜通って来られたのは三輪の神であり、生まれる子どもは三輪の神の御子であるとわかったと記されています。


同様の話がいくつかあり、微妙に登場人物が異なっています。

・玉依媛命(下鴨神社の御祭神)が鴨川の上流より流れてきた丹塗矢を拾われ一夜床辺に置いた処 めでたく懐妊され御子神(上賀茂神社御祭神の賀茂別雷神)を生まれた。

・賀茂建角身命の娘(賀茂神社由来説話)では、丹波の神伊可古夜姫(カムイカコヤ姫)を娶って、玉依日子と玉依姫を生み、この玉依姫が川遊びにしているとき、丹塗矢が流れてきて、これを床の側においたところ、賀茂別雷神を生んだ。

・山城国風土記では玉依日売(たまよりひめ)が川を流れ下ってきた矢を床の辺に持ち帰って火雷神(ほのいかつち)の子,可茂別雷命(かものわけいかつち)を生んだという話

・陶津耳命(スエツミミのみこと)の娘 活玉依姫(イクタマヨリ姫)糸巻に巻いた麻糸の先に針をつけ、男の袖に刺す。残った糸巻は三勾(三巻)、美和(三輪)という。

古事記では三島の溝杭の女(勢夜蹈鞴姫:セヤタタラ姫)と三輪の神になっています。


三島の溝杭は、守口の大日彦で孝元天皇(素戔嗚)の妃の真下姫(味舌姫)=市杵島姫です。市杵島姫は、玉櫛姫で玉依姫でしょう。玉櫛姫の娘が勢夜蹈鞴姫(セヤタタラ姫)でホトタタライスケヨリヒメ=五十鈴姫です。このプログでは大彦の娘の御牧姫(ミマキ姫)としています。


上記の話はすべて変奏曲です。テーマ(主題)は、真下姫と素戔嗚の結婚です。

真下姫はよほどの美人だったのでしょう。平民であった真下姫が孝元天皇(素戔嗚)に見染められ、皇后になったというのが本当の話ではないでしょうか。


ホトタタライスケヨリヒメ=五十鈴姫は神武天皇の后とされていますが、本当は、ミマキイリヒコ(崇神天皇)の后であるというのが、私の見解です。


夜通って来られたのは三輪の神の話の続きでは、生まれる子どもは三輪の神の御子でこの神の子孫がオオタタネコです。オオタタネコは崇神天皇の御世、疫病が流行した時に、天皇の夢に大物主大神が現れて「吾が子孫のオオタタネコをもって私を祀れば、国が安らかに治まる」と示されました。天皇はさっそくオオタタネコを探し出し、神主として三諸山に大三輪大神を祀り、疫病を鎮めました。空白の150年~ミマキ国 このオオタタネコが住んでいたとされる場所が、陶邑です。陶津耳命と関係が示唆されます。日本書紀では、「陶邑の名称は、崇神天皇の時、倭迹迹日百襲媛命が神懸りして受けた託宣により茅渟県の陶邑において大田田根子を探し出し、大和三輪山の神、大物主を祭る神主(三輪山の麓にある大神神社の始まりとされる。」


陶邑は今の大阪府堺市宮山台2丁あたりです。


※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。

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